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2000年6.15と、今年の10月4日に2回行われた南北首脳会談で、南側が積極的に語ることができなかった議題が、国軍捕虜と拉致被害者の送還問題だった。

北朝鮮政府は拉致被害者や国軍捕虜は存在しえないと主張する。自身が希望して北朝鮮に来た’義挙入北者’と主張する。これが嘘であるという事実は皆知っているが、北朝鮮政府が最後まで白を切る限りどうしようもない。

この問題を解決するには、韓国政府が絶えず問題を提起し、時には圧力を、時には飴を与えて、南北間の正式な議題にすることが重要だ。北朝鮮も’非転向長期囚をかえしなさい’と、数十年間要求してきてこれを貫徹した例がある。

北朝鮮に住む韓国出身の人たちは大きく3つの部類に分けられている。

1つ目が、解放と戦争を前後して自ら越北した南労党出身、そしてまったく同様に戦争の時に韓国で人民軍として徴集された‘義勇軍’出身、2つ目が、戦時拉致被害者及び国軍捕虜、3つ目が拉致された漁業従事者など、戦後拉致被害者だ。

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自ら越北した南労党出身者たちに対しては、現代史を研究する人が関心を持ってきたため、ある程度知られている。

だが、戦争の時期に人民軍によって’義勇軍’として徴集された人々、または促されて’義勇軍’になった人々だ。この人たちが北朝鮮でどのように暮らしてきたかはほとんど知られていない。

党の6課で管理…多くが死ぬこともできずに生きる

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ソウルが故郷であるチェ・グムリョン(仮名, 76歳)氏は18歳の時、1950年9月に人民軍に徴集された義勇軍出身だ。

現在、咸鏡道キョンソン郡で暮らしているチェ氏は、夜には職場の警備をし、昼間は通りを歩いて割れた器や長靴などを修繕して生計を立てている。

だが、チェ氏は‘ソウル市人民委員会副委員長’という辞令を持っている。北朝鮮は1980年代初頭から、’統一’に備えて、韓国出身の幹部の名簿を作成し、彼らに辞令をあらかじめ下したことがある。北朝鮮では彼らを‘南朝鮮出身の批准幹部’、一名’6課対象’と呼ぶ。

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朝鮮労働党6課は、義勇軍や南労党系列の韓国出身者を統制・管理する部署だ。北朝鮮は1年に2度ずつ6課の会議を開き、辞令を受けた韓国出身者らに、統一に備えた政治教育を受けさせている。

多くが70代後半の彼らは、今も‘南朝鮮傀儡’のために統一できないと主張する。チェ氏も時折、‘アメリカの大統領に送る抗議文’や‘南朝鮮の傀儡に送る呼訴文’という文を持って、職場の支配人(社長)や初級党書記に手紙を送ってほしいと要請する。

だが、彼らのことを北朝鮮の住民は、’おかしい’という目で見る。50、60年代に南労党出身者が大挙して粛清された時、南の出身者は多くが政治的に迫害された。

もちろん、義勇軍出身の中には、北朝鮮でそれなりの地位についた人もいる。これまで、離散家族の再会に成功した人がこれに属する。だが、義勇軍出身者の全体と比べたら極少数に過ぎず、多くは生活難で死ぬこともできずに暮らしている。

慈江道のナンリム郡で暮らしている越北者のチャ・ミョンスン(仮名)氏は戦争中に人民軍が後退した時、実の兄とともに義勇軍に志願入隊した。父は南労党の党員だった。

チャ氏の兄は国軍との戦闘で死亡し、チャ氏は人民軍の看護婦として働いていたが、戦争が終わり、北朝鮮で父に会った。チャ氏は大学の教授だった南労党出身の夫に出会って結婚した。

だが、1967年の金日成の知識人大弾圧政策、’5.25教示’以後、1970年代初頭に、南朝鮮の知識人階級に対する大々的な粛清が行われ、チャ氏の家族は平壌から慈江道のナンリム郡に追放された。父は‘反党反革命宗派分子’‘として政治犯収容所に収監され、その後消息が途絶えた。

大学の教授だったチャ氏の夫は林産事業所の労働者になったが、病気で死亡した。

チャ氏にはかわいらしい娘が3人いたが、いわゆる’宗派分子’の家族という出身成分のため、北朝鮮で最も出身成分が悪い’治安隊’(国軍による北朝鮮修復の時、現地で治安維持隊員として雇用された人々)出身の家族の子供と結婚した。

これが南朝鮮出身の’義勇軍’の家族の一般的な暮らしである。

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