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当時、道路の建設を引き受けたイミョンス革命戦跡地踏査管理所長が、“道路標識は必要がないので埋めてしまいなさい”と指示した。だが、よりによって標識を埋める瞬間、その道を通った中央党組職指導部の指導員がこれを目撃した。

革命戦跡地の道路の標識を埋めるのを見た彼の目が殺気だった。組職指導部は直ちに三池淵郡の党の幹部と、史蹟部の思想闘争会議を開いた。中央党宣伝扇動部の職員らを解任させるためだった。

思想闘争会議では、’我々の党の革命の伝統を抹殺しようとする反党反革命的宗派行為’という凄まじい罪名が出た。

組職指導部は事件を大きくするために、両江道全域で思想闘争会議を召集して、宣伝扇動部に濡れ衣を着せようと必死の努力をした。だが、道路標識を埋めたということだけでは、中央党宣伝扇動部を批判するには十分でなかった。

結局、組職指導部は中央党宣伝扇動部を連累させることができないまま、宣伝煽動部長のチェ・チュンファンの側近である、三池淵郡の党責任書記、イ・ヨンファだけを除去することにした。

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2003年5月。2ヶ月もの間、平壌に呼ばれて思想検討を受けたイ・ヨンファは、脱党(党から除名されること。脱党者は、再び権力の座につくことができない)、解任されて、両江道のウンフン郡にある’8月鉱山’に追いやられ、そこの労働者になった。

この事件で、三池淵郡の党責任書記、郡の党宣伝書記、宣伝部長、三池淵人民委員会史蹟課長を含めた幹部たちが、なんの罪もなく大量に脱党させられて解任され、農村や鉱山に追放された。

一瞬にして反党反革命宗派分子になったイミョンス踏査管理所長は、農村に追放された1ヶ月後に、音も無く消えた。金正日は一時信頼した幹部も、必要と思えば解任した。

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中央党宣伝扇動部も火の粉がふりかかることを憂慮して、イ・ヨンファの弁護をしなかった。

‘党思想宣伝突撃隊’を前面に立てて、組職指導部をはじき出して主導権を掌握しようとした宣伝扇動部は、この時から崩壊しはじめた。

イ・ヨンファ事件は、当時の党中央委宣伝扇動書記だったチョン・ハチョルと、第1副部長チェ・チュンファンの没落を予告する前奏曲となった。