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2002年10月に、北朝鮮の朝鮮中央テレビは“三池淵郡に数千世帯の現代的な家を作り、住民に無償で分けた”と宣伝した。その後も、三池淵郡では現代式の住宅や体育館、サービス施設などの建設事業が推進された。

当時、建設事業は全国から集まってきた’党思想宣伝突撃隊(6.18突撃隊)’が担当した。6.18突撃隊は三池淵一帯の家や1号道路の建設事業を推進した。

宣伝扇動部はサムス発電所の建設という、大型発電所の建設プロジェクトを推進して、金正日の信任を得るために渾身の努力を傾けた。

金正日も宣伝扇動部の積極的な事業の推進を喜び、組職の指導部がこの責任を負って、支援するようにと指示を下した。それ以降、組職指導部と宣伝扇動部の主導権争いが先鋭化する。この闘争の最初の犠牲者が、’ 党思想宣伝突撃隊 ‘が出帆した三池淵郡の党責任書記、イ・ヨンファだった。

“将軍様に会いに来た”

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1999年6月、金正日が両江道の三池淵郡を訪問した。両江道の党責任書記のカン○○(元慈江道党組職書記で、2003年に党員の資格を失い、政治犯収容所に収監される)がぺガム駅で金正日を出迎え、恵山市まで随行した。

金正日が三池淵招待所(金正日の別荘)に到着した時、護衛責任者である部下から報告が入ってきた。

三池淵郡の党責任書記のイ・ヨンファが将軍様にお目にかかると言って、護衛兵士の制止にもかかわらず、第 1遮断所を通過したという内容だった。金正日の護衛網をくぐって入ってくるとは想像し難いことだった。

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当時、イ・ヨンファは護衛局の軍官がピストルまで抜いて制止させたが、“私が三池淵郡の主人なのに、わが郡にいらした将軍様に私がお目にかかるのは当然だ”と大声を出して遮断所を通過した。

彼のこうした行動は、むしろ金正日の好奇心を刺激した。
“そいつの度胸は尋常ではないな… 一度会ってみよう!”
金正日はその後、三池淵に来る度にイ・ヨンファに会い、一緒に酒も飲んだ。

組職指導部の標識事件

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金正日が両江道を訪問した時に同行した、中央放送委員長(後の中央党宣伝扇動部長)チョン・ハチョルと、宣伝扇動部副部長のチェ・チュンファンもイ・ヨンファに注目した。

2000年12月、’党思想宣伝動突撃隊 ‘が組職されると、人口2万5千人たらずの三池淵郡に、延べ5万人の突撃隊がやって来た。イ・ヨンファは学校の建物まで、全て突撃隊員の宿所として利用するように措置した。

突撃隊は中央党宣伝扇動部の指導下にあったため、イ・ヨンファは共に派遣されていた組職指導部の職員に、関心を向けていなかった。

2002年11月、三池淵の家屋の建設事業を基本的に終えた突撃隊は、恵山から三池淵に続く’1号道路(金正日専用道路)’の建設に取り掛かった。

工事が真っ盛りの2003年3月、三池淵郡のイミョンスに向かう道路を建設していた時、突撃隊員たちが道路の標識をむやみに処理する事件が発生した。

‘イミョンス革命戦跡地に向かう道’と書かれた、高さ60cm 、幅60cmの小さな大理石の標識だった。’革命戦跡地に向かう道’と書かれていた点が、一般の標識と違う点だった。昔の道路がなくなり、この標識も必要が無くなった。(続く)