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2006年1月26日付の聯合ニュースは、”金委員長がジャガイモで有名な両江道の大紅湍郡を訪問した時に、生まれた子供の名前をつけてほしいという妊婦に頼まれ、’息子を生んだら’デホン’とつけて、娘だったら’ホンダン’とすること’を勧めたというエピソードもある”と紹介した。

2000年3月27日付の労働新聞は、”偉大な領導者金正日同志が、両江道の大紅湍郡の総合農場を現地指導なさった”という題の報道で、除隊軍人’ムン・ウォンシク’の家を訪問して一緒に撮った写真を公開した。

この報道にも裏話があった。

2000年3月24日、金正日総書記が大紅湍郡の分場に新らしく作った除隊軍人の住宅(金正日総書記の指示で除隊軍人1千人が強制的に大紅湍郡の農場に配置された)を見に行った。

金正日総書記は同行した妻の高英姫氏と、除隊軍人のミン・ウォンシクの家を見学した。家族は金正日総書記の訪問に備えて、数日前から家を飾っていた。

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金正日がミン・ウォンシクの家を見学した時、姙娠6ヶ月だった妻が、“将軍様、これから生まれる子供の名前をつけてください”と頼んだ。

金正日総書記は顔をしかめて、“自分たちでつければよいではないか”と言った。

しばらくあちこちを眺めていたら、ミン・ウォンシクの妻が再び金正日総書記に向かって、“将軍様、生まれる子供の名前をつけてください”と言った。

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かんしゃくを起こした金正日総書記はかっと怒った。

“やあ、お腹の中にいる子供の名前を、 どうして私がつけるのか”

直ちに護衛員たちが駆けてきて、彼女を制止した。

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家主のミン・ウォンシクと妻は非常に驚いた。しまったと思ったが、手遅れだった。

金正日総書記が帰ると、ミン・ウォンシクと妻はすぐに、郡の党宣伝部に呼ばれた。“将軍様の前で無礼な要求をした”と批判書を書き、数日間大変な目にあった。

妊婦の管理のために平壌産院の医者をヘリで空輸

郡の党だけではなかった。村では分場長(大紅湍郡では作業班の班長をこう呼ぶ)と初級の党書記、保衛指導員に呼ばれて、またひどい侮辱を受け、農場員たちの前で思想闘争の対象になった。

特に、ミン・ウォンシクは党の生活総和と農場員の集会で、“将軍様に無礼なことを言って、ご迷惑をおかけした”と自己批判しなければならなかった。

当時の状況について、大紅湍郡出身の脱北者イ・キョンヒ(2006年入国)氏は、2007年7月13日に自由北朝鮮放送に寄稿した文章で、“大紅湍郡のジャガイモ農場に集団で住んでいた除隊軍人の後悔”として、“金正日に子供の名前をつけてほしいと言って頼んだ除隊軍人と妻は、党の機関に呼ばれて、将軍様の前で無礼なふるまいをしたと厳しく追及されて、大騒ぎになったという”と書いた。

金正日総書記が訪問の2日後に大紅湍郡を去り、三池淵のムボン労働者区に向かっていた時であった。

随行員と大紅湍郡の話をしていた金正日総書記が突然、“そうだ、私に子供の名前をつけてほしいと言っていたのがあるだろう。そのことだが、男の子ならば‘デホン’、娘ならば‘ホンダン’とつければよいのではないか”と言った。

この言葉を聞いた随行員たちは、“まことに将軍様だけができる立派なお考えです”と口をそろえて賞賛した。

この一言で、事態はあっという間に180度変わった。あちこちに引きずり回されて批判されたミン・ウォンシク夫婦を除隊軍人たちの前に呼び、“金正日将軍様のお言葉の伝達式”という行事を盛大に開いた。

その日、平壌から大紅湍郡まで平壌産院の医者6人がヘリコプターに乗ってやってきた。この医師たちは夫人の身体検査をして、異常があるかどうか、精密診断した。

平壌産院の2人の医師は、平壌に帰らずにミン・ウォンシクの妻の健康管理を続けた。ミン・ウォンシクの妻は一切の労働を免除されて(北朝鮮は姙娠8ヶ月目で休暇を与える)、平壌産院の2人の医師と大紅湍郡の産婦人科の医師の特別な管理を受けて生活した。

理由は簡単だ。将軍様が名づけた子供に、異常があってはいけないからだ。ミン氏の妻は娘を生み、子供を’ホンダン’と名づけた。

当時、大紅湍郡の住民たちは、将軍様の恩恵と言って驚いたが、中には’世の中にはおかしなこともあるものだ’と言った人たちもいた。ミン・ウォンシクの妻だけが羨望の的になった。だが、大紅湍郡の党の雰囲気はあまりよくなかった。金正日総書記の現地指導の時には、何かが起こるかも知れず、神経を尖らせるようになったのだ。

2002年に大紅湍郡の組職書記が現場で解雇された事件はそのハイライトだった。

金正日の気分次第で、罪のない人がすぐに死ぬこともあり、幸運を得て出世することもある。

北朝鮮の人々の間ではやっている言葉がある。”長く弱く暮らすよりも、短く充実した人生を生きよう!”

この言葉には、生活が苦しくて飢えながら長生きするよりは、少しでも出世して、やってみることはすべてやってから死のうという意味がある。