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誕生日を迎え、娘と夕食を共に食べた。毎年迎えている誕生日だが、韓国でこの日を迎えるのは初めてなのでいつもとは少し違う気分だった。

会社を出て家に到着し、ドアをあけようとした瞬間「お母さん、ちょっと待って!」という娘の声が聞こえた。「どうしたのだろう?」と不思議に思っていると娘が言った。「もう、入ってきていいよ」。ドアをあけた瞬間、目頭が熱くなってきた。

部屋の灯りは消されていたが、ローソクの火が照らし出されていた。それもハートの形に並べられたローソクの火だ。するとハッピーバースデイの歌が流れた。娘は「お母さん、おめでとうございます」という言葉と共にケーキと花束を渡す。

北朝鮮でも誕生日を祝ってもらったが、この様な形で祝ってもらうのは初めてで、勿論ケーキも初めてだ。

娘は「お母さんのために北朝鮮料理を作ってみたのよ」と料理までつくってくれた。北朝鮮式の豆腐ご飯やカムジャジョン(ジャガイモのチヂミ)、澱粉麺、もやし・ホウレン草・ワラビの和えもの、五穀ご飯など、娘が準備した料理はバラエティーに富んでいた。

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せっかくだからと思い、同じアパートの住民と近所に住む脱北者を招待して、一緒に夕食を食べた。隣人は「いやいや、娘さんは16才だけど、もう大人じゃないか。本当に孝行娘だ」と繰り返し娘を褒める。娘はといえば、「私が北朝鮮の料理を作りました。召し上がってくださいね。母も北朝鮮にいた時に祖父母に、こうやってもてなしていたんです。私も母から料理を学びました」と答えた。

生活に苦労がない韓国では誕生日パーティーは大した事では無いが、生活難の北朝鮮では、この日だけは苦しくとも祝う。

金日成・金正日の誕生日の時のように政治色の強い記念日は、各種行事に動員されるため各々の家庭毎にで過ごすが、両親の誕生日は、たくさんの人が集まって楽しむ。そして、親と子供は愛情を深め、とても思い出に残る日だと脱北者は話す。また、休暇の申請も比較的簡単に降りる。

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両江道出身のイ・ヒョンソク(41)氏は「両親の誕生日には子供たちが皆で食べ物を作って祝いの言葉を述べる。苦難の行軍の時、生活は厳しかったが、祝いの行事を欠かさなかった」と話した。

両親へのプレゼントは衣類、履き物などだ。電気が重要な北朝鮮の実情を反映し、電池も主要な贈り物品目だ。最近では、現金を用意する場合も多い。

咸鏡北道出身のキム・ヘヨン(46)氏は「我が家では兄弟が食糧、副食物、衣類、履き物などを準備し、両親をもてなした。その日には、両親が好きな食べ物を用意し、歌を歌ったりして両親を楽しませたよ」と振り返った。

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この日には、長生きを願う意味を込めて『長い麺』が欠かせない。

この他にも、松餅(ソンsョン)、小麦粉のパン、チヂミ、油菓子、豆腐ご飯、トウキビ餅など。おかずはモヤシが代表的で豆腐チゲ、ゼンマイ、ワラビ、茄子などが出される。ジャガイモがよくできる地域ではジャガイモで作った餅、ジョン、麺、スンデ、うるち粉の餅、カクテキなども登場する。

子供たちは、両親に順に酒を注いで、孫たちはお辞儀(チョル)をし「いつまでもお元気で」 「長生きしてください」「健康に元気に生きてください」などの気持ちを伝える。

挨拶の後は、家族全員で食事をしながら家族の歴史や思いで話を語りながら、歌なども歌って楽しい一日を過ごす。子供は、これまで苦労した両親に対し親孝行の気持ちを込めて歌を歌う。よく歌われるのは「うちの母さんがうれしそうに一度笑えば」「子供の孝行思い」などだ。

子供を持つ両親は、この日を心待ちにする。キムさんは「老人になっても、両親の日を子供のような気持ちで待ち望むの」と話した。久しぶりに子供たちの顔を見ることができ、可愛い孫と楽しい時間が過ごせる。1年で最も嬉しい日だ。

最後には、来年の両親の誕生日を約束する。「人の心は米びつからわく(人は自分が裕福であってこそ他人を助けることができるという意味)」ということわざがあるが、米びつが常に空っぽでの北朝鮮でも、両親への親孝行の気持ちだけは変わることがないのだ。