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北朝鮮の市場で太陽節のプレゼントが売られている?

脱北者の大半はこのような質問に「プレゼントを売ればコメ1キロに相当するお金になるので、当然の事ではないか」と答える。金日成・金正日の下賜品として貴重な存在だったプレゼントは、今では生活苦を和らげる為の役割しか無いという。脱北者らによると、市場には太陽節のプレゼントを専門的に扱う屋台までできた。

北朝鮮の最大の名節の太陽節(金日成の誕生日4月15日)を迎え、将軍様(金正日)名義で全国の保育所(4〜5歳)、幼稚園児(6歳)、小学生(7〜11歳)にプレゼントを下賜する。金正日の誕生日である2月16日にも同様に行われる。

プレゼント袋にはクッキー(400g)、飴(400g)、ゼリー(50g)、お米のお菓子(100g)、ガム(5枚)などが入っている。地域ごとに質の違いはあるが量は同じだ。

一般的にプレゼントの受け渡しは誕生日の前日または二日前に保育所、幼稚園、小学校で行事として行われる為、誕生日の前日までには受け渡しが完了している。

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受け渡しが終わった後に市場に出ると、プレゼントが屋台にならんでいる。住民はこれを相場よりも安い価格で商人に売り渡す。商人はプレゼントを秤に乗せて価格を決めて販売する。

プレゼントは2000ウォン(2008年)が市場価格で、商売人は1500ウォンほどで購入する。市場の外では直接販売をしようとする住民が大勢いるという。差額の500ウォンはこの当時でいうと塩1キロの金額である。

金融改革以前と同水準に物価が上昇しており、今ではプレゼントがコメ1キロに相当する。慶事に家族の慎ましい食事をする為に子供のお菓子まで売らなければならない状況だ。

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脱北者などによると、プレゼントが市場に出回りだしたのは1990年代中盤から後半の苦難の行軍がきっかけだ。多くの住民が飢えに苦しんでいたが、この時期にも金日成・金正日の誕生日プレゼントは中断されずに供給された。しかし、食べるものに困った住民はこれを売るようになったという。

苦難の行軍以前は生活苦であろうとも、プレゼントを売る人はいなかった。太陽節と金正日の誕生日の朝には「大元首様と将軍様の空のような愛に忠誠でお返ししよう」と誓いながら肖像画に挨拶をし、プレゼントを開けるほどに大切にしていた。

2000年代に入り住民の生活も少しずつ変わり始めた。市場では中国産商品や食品が売られ、キャンディー、クッキー、果物も増えた。苦難の行軍で生存方法を体得した住民らはよりよい生活を希望し、子供のおやつのレベルも変わり始めた。

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ある程度裕福な家庭はプレゼントを市場に売って、そのお金でもっと美味しい中国産のお菓子を購入するという。

貧しい家庭の親は涙をのんで子供のおやつを売ってお米を用意する。子供にはトウモロコシのお菓子を与える。子供たちは不平を言わないという。

将軍様のプレゼントが市場で売られているが、当局の取り締まりは形式的である。 2009年に脱北したハム・インスク氏は「市場でのプレゼントの売買は一時取り締まりが行われただけだ」と述べた。このプレゼントは裕福な家庭がおやつとして市場で購入するという。今年の太陽節のプレゼントの支給の便りはまだ確認出来ていない。