1962年から1996年まで34年間にわたり朝鮮総連によって発刊されてきた「朝鮮画報」という北朝鮮を紹介する写真グラフ誌がある。北朝鮮公式の雑誌であり、伝える中身は100%プロパガンダだ。

しかし、1970年代初期までの「朝鮮画報」は100%が北朝鮮賛美ではあるものの、故金日成氏の個人崇拝の色合いも薄く、生の北朝鮮事情をかいま見ることが出来る数少ない貴重な資料だ。

ちなみに金正日氏が朝鮮画報に登場するのは1982年以降である。その「朝鮮画報」の1972年11月号を紹介する。

197211朝鮮画報花を売る乙女

表紙を飾るのは映画「花を売る乙女」でヒロイン「コップニ」を演じた当時16才の洪英姫(ホン・ヨンフィ)。

彼女は後に数々の勲章を受けた人民俳優で旧一ウォン札にも描かれている北朝鮮では最も有名な女優の一人だ。

「花を売る乙女」とは、今でも北朝鮮が不朽の古典的名作と誇る戯曲だ。一説では金日成が創作したともいわれているが、当時の朝鮮画報によると中国吉林省の五家子(地名)で創作された作品が後に脚色され歌劇と映画になったという。

戯曲を元にした映画版は1972年に金正日の指示によって制作された。ヨーロッパでも代表的な映画祭のひとつであるチェコのカルロヴィヴァリ国際映画祭(第18回)にも出品され特別賞を受けるなど、まさに北朝鮮が誇る映画の一つだ。

ストーリーは、貧しい娘コップニが日帝の植民地当時を背景に、悪徳地主階級に搾取され酷い仕打ちを受けるなかで「革命のみが生きる道」と目覚める。根底にはプロパガンダがあるものの、偶像化がそれほど確立していなかったせいか金日成氏も登場せず、北朝鮮独特の映画としては純粋に見応えがある。

朝鮮画報の解説によると「『花を売る乙女』は、1920年代の末から1930年代のはじめにいたるチョソンの現実、国を奪われた人民の民族的受難と地主、資本家階級の横暴と抑圧と搾取のもとに虐げられる人々の悲惨な生活を芸術的に描きながら、敬愛する首領キム・イルソン主席が提示した革命の必然性にかんする偉大な真理を実践している」とのことだ。

この映画は国家プロジェクトとして制作されたことから、朝鮮画報や労働新聞には、映画を賞賛する文章があふれているが、その裏には政治的な意味も込められていた。

1972年は、北朝鮮の独裁体制を検証するうえで重要な年だ。

金日成氏は、還暦を迎え、それまでの首相から国家主席となり憲法には主体思想が明記される。その裏で日成氏の偶像化をリードしたのが、息子の正日氏だった。彼は、父の偶像化を進めると同時に金日成に取り入り後継者の座を確固たるものにしていく。

正日氏自身も、この年の10月に党中央委員となり後継者としての第一歩を踏み始めていた。

正日氏が後継者の道を歩む過程でとりわけ芸術や文化を最大限利用したことは既に知られているが、そういった背景からも「花を売る乙女」を国家的に大々的に宣伝することは政治的イベントとして大きな意味があったと言える。そして、「花を売る乙女」は、北朝鮮を宣伝するプロパガンダとしては大いに成功したといえる。

しかし、映画本来のテーマである「民衆革命の必然性」は、北朝鮮自らがその後の独裁体制の歩みで否定する。

映画では、コップニが花を売ると同時に民衆に革命の希望と勇気を与えるという感動的なラストで締めくくる。しかし、39年過ぎた今現在の北朝鮮で民衆に希望と勇気を与えるコップニは現れていない。それどころか「別の花」を売る女性が現れているのが今の北朝鮮の現実だ。

北朝鮮の市場で「花を一輪」売る女性たちが増えたが、彼女たちは売春をする女性たちだ。「民衆革命」を訴える「花を売る乙女」ではなく、逆に生活のために売春せざるをえない「花を売る女性」が現れているのが今の北朝鮮の現実である。

「花を売る乙女」の映画製作を主導したのは正日氏だ。そして体を売る悲しき「花を売る女性」を生み出したのも正日氏だ。金正日体制は映画に出てくる「悪徳地主」の如く、北朝鮮住民を搾取し収奪し売春せざるを得ない生活苦に追い込んでいる。

汚れたチマ・チョゴリに身をまとうコップニの目には、最後に希望に満ちた光が込められる。しかし、今の北朝鮮の「花を売る女性」の目には日々の生活苦の焦燥と絶望感こそあれ、抑圧階級への怒りに満ちた光は込められていない。

いつになれば北朝鮮の革命を訴える「花を売る乙女」は現れるのか。その日が早く来ることを願ってやまない。

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