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2月16日は、北朝鮮の最大名節である金正日の誕生日だ。北朝鮮は、誕生日を祝うために金正日の出生地として宣伝される白頭山密林の野営地で12日、大規模な花火を打ち上げた。また、11日からは白頭山麓の三池淵郡で氷の彫刻祭りが開かれている。

この他、各地方党委員会では金正日誕生行事対策討議が進められ、各企業所工場別では慶祝公演準備の真っ最中だ。

北朝鮮当局は公式メディアを通じて、金正日偶像化に力を入れている。労働党機関紙である「労働新聞」では13日に関連記事を7個が掲載された。

さらに、三代世襲を公式化以降、初の大規模行事だけに『先軍後継者』『白頭山血統』などの表現で後継者の金正恩にも力を入れている。

しかい、この派手な行事の裏では北朝鮮の2300万住民が飢えに苦しんでいる。 国家的経済難に規制と取り締まりで窮乏している住民にとって、金正日の誕生日の慶祝行事は「大きな荷物」にすぎない。誕生日の祭りがかえって住民の不満を高めるという観測も出てくる。

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2月16日を前にして写真を通じて金正日の過去を振り返ってみる。

金正日は1941年、金日成のパルチザン部隊が駐留したロシアの沿海州で生まれた。 今年で年齢70歳。しかし、金日成の出生年度1912年の「2」と合わせるために誕生日を1942年に変えた。

金正日は幼い頃はロシア式の名前『ユーラ』と呼ばれた。思春期の頃は口数が少なく、内向的な性格だったと知られている。 高級幹部の子弟のみが通う南山高級中学校に通ってから、徐々に活発で社交的な性格に変わっていったという。

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1960年、金正日は金日成総合大学政治経済学科に進学。卒業後、党中央委員会組織指導部に勤めながら政治経験を積んでいく。1973年には党組織秘書兼組織指導部長を引き受け有力な後継者として浮び上がる。

呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長および親族との激しい権力争いで勝利した金正日は32歳の年齢で党中央政治委員に上り詰め『党中央』という呼称を得る。これは、まもなく金日成の後継を繋ぐ二人目いう意味だった。

1980年には、政治局常務委員と党軍事委員会委員になりながら、公式的に後継者としての歩み始める。1994年、金日成主席死後、金正日は北朝鮮の絶対的支配者として君臨する。

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2008年に金正日は脳卒中で倒れる。当時、報道機関と政府は金正日健康不安説を言及し、北朝鮮急変事態に対して注意深く見ていた。現在は、業務に支障がない程度に回復したと分析されているが、政府高位当局者は昨年、「金正日は脳卒中の後遺症で判断力が落ち、記憶力も落ちて非理性的な話をたびたびする」と明らかにして金正日の健康が以前と同じではないことを示唆した。

さらに、糖尿も深刻な病状だと知らされ、糖尿合併症の慢性腎不全症で腎臓透析を受けていると推定されている。『開かれた北朝鮮放送』は『金正日護衛司令部傘下の特殊診療課が金正日の健康寿命を最長でも3年だと結論付けた』と昨年の7月に伝えたことがある。

しかも、延坪島砲撃、一方的対話の攻勢、南北軍事実務会談の決裂など最近の北朝鮮の対外政策が一貫性がない点も金正日の健康悪化説に説得力を与えている。

しかし、悪化したのは金正日の健康だけでない。金正日の統治期間に、北朝鮮住民た生活は一層疲弊した。北朝鮮の経済は、次第に悪化して90年中頃には数百万人が飢えて死ぬ「苦難の行軍」を経験。現在も北朝鮮は外部の支援なしでは生きていけない最貧国に転落している状態だ。

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