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北朝鮮民主化運動本部のイ・ジヘ国際弁護士は2009年に米国、ワシントンD.C.で弁護士試験に合格した。

普通に見れば、彼女は努力によって経済的にも社会的にも地位が保障される人材だ。しかし、彼女が仕事をする場所は大手の法律事務所や大企業ではない韓国内の脱北者団体だ。

イ弁護士が団体で仕事をしながら受ける保障は生活するには不充分だ。北朝鮮の人権改善のために活動するNGOの大部分がそうであるように、彼女が身を置いている北朝鮮民主化運動本部も財政の余裕はない。

それでも、彼女は現在の国際弁護士という前途有望な職業をひとまず後回しにして、北朝鮮住民のための政治犯収容所解体活動を行っている。

北朝鮮収容所解体に全力を尽くす「その理由」を聞くため彼女の事務室を訪れた。

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‐北朝鮮民主化運動本部で政治犯収容所解体の活動を行う事になった契機は何ですか?

意識していなかったが、私は「北朝鮮」と縁があったようだ。北朝鮮にはじめて関わったのは大学院に在学中だった。その時までは、北朝鮮に対して特別な考えを持つことはなかった。その後、米国のロースクールへ留学に行った時や、その後に韓国に帰国してから脱北者に会うようになった。

米国留学当時に、私が通う教会にある脱北者が娘を探していると訪ねてきて、事情を聞いたことがある。また、韓国に帰国してから、就職の準備をしている時に、ある脱北者が私を直接訪ねてきていきなり「感謝する」と言った。後で分かったのだが、その人は、なかなか難しい事情の北朝鮮民主化運動本部の活動を助けながら、就職準備をしているという奄?キき、私を直接訪ねてきて激励した。 その脱北者が「若者たちは北朝鮮の人権に関心を持たないのに、感謝する」と述べられた。

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脱北者と会いながら彼らの事情を聞いているうちに「私は、この道を進まなければならないようだ」と感じ始めた。 その後、仕事の手伝いをした北朝鮮民主化運動本部のキム・テジン代浮?Kね、正式に仕事をしたいと垂オ出た。

-本業の「国際弁護士」に戻るつもりはないのでしょうか?

結論から言えばない。幼い時の将来の夢は弁護士ではなかった。今は、ベストを尽くして「米国弁護士」の資格を取ったということで満足している。また、私が弁護士として勉強したことが、北朝鮮政治犯収容所解体のため、大いに役立っている。『金正日ICC提訴運動』に必要な国際的法律自問を引き受けるなど、あえて本業に戻らなくても、今の仕事の中で、これまで蓄積した知識を大いに活用できると思っている。

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‐北朝鮮民主化運動本部の企画室長として活動していますが、今後どんな活動を企画していますか?

『ヘウォンとキュウォンの救出運動』を本格化する予定。

この子供たちは、ドイツで経済学博士学位を取り、北朝鮮工作員に抱き込まれ北へ送還された呉吉男(オ・ギルラム)博士の娘たちだ。呉博士は80年代にドイツで韓国の民主化運動のために積極的に活動をしたという理由で韓国政府から入国禁止処分を受けた。その時に北朝鮮の工作員が彼に接近し、教授の職を用意するなどの誘惑をした。呉博士はその誘惑に負け、妻と子供を連れて北朝鮮へと渡った。

以後、北朝鮮で対南放送要員として活動させられた呉博士は、北朝鮮の実体を知って脱北した。彼の妻と子供たちは燿徳(ヨドク)収容所に収監されてしまった。呉博士の、一時の間違った選択で何の罪もない子供たちが苦痛を受けている。その子ども達を救うための活動を企画している。

-救出運動に進展はありますか?

現在は、『ヘウォンとキュウォンを共に救い出します』と書かれたハガキを千ウォンの後援支援金を受けて販売している。この事業は、昨年の12月から始めたのだが、すでに300人余りがハガキを通じて『ヘウォンとキュウォンの救出運動』を共にすると約束した。

1,000人の後援者が集まれば、公式的な記者会見を行って本格的な活動を始める。年末までに100万人を集めたい。100万人を集めた後は、可能なら集めたハガキを北朝鮮当局に伝え、子供たちが解放されることを要求するつもりだ。

-ハガキを北朝鮮当局に伝えたとしても子供たちが釈放され、韓国に入国する望みは薄いと思われますが。

望みが薄いと考えるより、まずは一度試してみる価値があるということが私の考えだ。今までの活動では、政治犯収容所解体のための記者会見を行い、犯収容所の生存者が証言をするなど単純な方法で進められた。だが、それでは収容所はびくともしないことがわかった。だから、私たちが収監されている人々を直接解放するという努力をしていこうという趣旨で今回の事業を企画した。さらに最近では、燿徳収容所革命化区域(一定期間が過ぎれば収監者は釈放させる区域)でも、住民を解放しないという情報もある。そのような状況だから、ひたすら収容所で人々が解放されることは待てない。

過去、西ドイツでも政府次元で東ドイツの政治犯釈放運動を行い、彼らを釈放させた事例がある。日本でも横田めぐみさん救出のための活動は続いている。もちろん横田めぐみさんは帰って来ていないが、拉致された7人は故郷に帰ることができた。このような事例は政府主導でなされた結果だ。だが、韓国政府はこれに関しては、直接行う事が出来ない特殊な状況に置かれている。だからこそ、私たちの団体がその役割を代行するつもりだ。

私たちの団体が、この運動を継続的に行い、国際的な議論を巻き起こし、国際キャンペーンに発展させたら、十分に可能性はあると思う。この運動を拡大させる一環で、北朝鮮民主化運動本部は、来る3月にジュネーブで開かれる国連人権委員会会議にも参加する計画だ。

イ・ジヘ室長は、最後に北朝鮮民主化運動本部の未来に対して言及した。

「私たちの最終目標はホロコースト博物館のように北朝鮮の政治犯収容所を記憶させる博物館を建設することだ。今は多くの困難があるが、政治犯収容所と関連した小さい展示会を継続的に開きながらその夢を少しずつ実現させるだろう」