かつて、北朝鮮では権力に逆らうことは「死」を意味した。苦難の行軍の真っ最中だった1998年、飢える労働者を救うために不正を犯した製鉄所の幹部が死刑になった。怒りに震えた多くの労働者が抗議に立ち上がったが、国から返ってきたのは真摯な対応ではなく、文字どおりの戦車による「蹂躙」だった。
(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」)ところが今では状況は大きく変化している。人々は「人権」という意識を持つようになり、以前ほど権力者を恐れなくなり、反抗することも増えている。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。
地方出身で昨年韓国にやってきた50代の脱北者の男性はRFAの取材に、保安員(警察官)は「人権がらみの問題を起こすと厄介だ」という認識を持つようになり、国民の逆襲が始まったという。
「保安員たちも下手をすれば『人権とやらのせいで落とされる』と言っている。実際に降格させられたり、除隊させられたりすることも多いから、人々はそれを知って逆襲するようになった。中央党(朝鮮労働党中央委員会)に信訴(告訴)したり、『行くところまで行ってやってやろうじゃないか』と道端で保安員と争ったりする。保安署でも、引っ張っていった人を殴ったり、無茶な容疑で死刑にしたりするのはかなりなくなった」
金正恩党委員長は2017年、「職権を乱用して金儲けをするな、住民に対する暴行、拷問などの人権侵害をやめよ」との指示を下したと伝えられている。これがきっかけで、権力者の人権侵害に多少ながら歯止めがかかるようになったもようだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面傍若無人の限りを尽くしてきた保安員だが、「市場や通りで保安員が取り締まりやワイロの要求をすれば、公然と歯向かう人が増えた」(脱北者)という状況では、思うようにできなくなった。
商人は、保安員の不当な要求に次のようなやり方で対抗する。ワイロを要求されれば相手の名前、所属、階級、要求したワイロの額、場所などの情報を記録しておき、次にワイロを要求されたら訴え出るというものだ。それも、同業種の商人が力を合わせて対応する。
その結果、降級処分を受けたりクビになったりした保安員も少なくないという。そのため、保安員たちは「これはもしかして人権侵害でひっかかるのではないか」ということを気にするようになった。折しも、経済制裁のせいで苦しい生活を強いられている人々は、ここぞとばかりに怒りを爆発させているというのだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「そういう対応に効果があるので、(一般市民も)以前のようにやられてばかりいない」(情報筋)
実際に人権侵害で処罰される者もいる。
こうした動向の背景にあるのは市場経済化だ。財産を持つ人が増え、今では「私有財産は神聖不可侵」という認識が高まり、それを侵害する動きに対して敏感に反応するようになったのだという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面北朝鮮で幹部の地位にあった脱北者によると、北朝鮮国民、とりわけ商売をしている人達の間で自分の財産を守ろうとする意識は相当に高まっている。
「2009年の(失敗した)貨幣改革のときのように、国による財産の没収は絶対にありえない」(脱北者)
また、国際社会による北朝鮮の人権問題の提起も効果をもたらしているようだ。「国連で人権問題を騒ぎ立て続けるので、北朝鮮も耳をふさいでばかりはいられなくなった」(脱北者)というのだ。当局も国際社会の批判に表向きは反発しているが、公開処刑の回数も大幅に減り、保安署での拷問も減少したという。
権限を奪われた役人ほど弱いものはない。ワイロが受け取れず生活に困った保安員たちは、仕事をやめることを考え出したようだ。
咸鏡北道の会寧(フェリョン)市在住の知人と連絡を取り合っている脱北者のキム・ドンナム氏が聞いたところでは、農村支援に動員された保安員が「手元に100元(約1620円)もない、もう制服を脱ぐ」と不満を述べていたという。つまり、保安員を辞めるということだ。
かつて、保安員は田植え戦闘などの農村支援から除外されていたが、今では参加を強いられる。サボるには上納金100元が必要になるが、それすらもない保安員はもはや珍しくない。儲からない保安員を続けるよりは、儲かる商人に商売替えしたほうがいいと考えるのは人情だろう。
かつては結婚相手として人気のあった保安員だが、今では女性から避けられるようになった。それも、単に儲からなくなったという話ではなく「世の中が変わったら加害者(として追及されるよう)になるかもしれない」(脱北者)という理由だ。
非常に賢明な判断と言えよう。北朝鮮の権力者による人権侵害は、将来の法的対処のために韓国でデータベース化されているからだ。