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筆者も国際会議に何度か参加して見たが、国際会議の参席者の最大の美徳は、性格が良くなければならないということだ。

知らない人にも近付いて挨拶をして、一緒に食事をしながら歩き回れば、沢山の人と知り合って、多くの知識を得ることができる。そうでなければ会議の期間、一人で食事をして、あまり人と対話をせずに帰ってくることになる。

今回、会議に参加したミャンマーの民主化活動家たちと食事をしたが、19日の朝10時頃、ミャンマー民主化のためのデモがあるので一緒に行かないかと誘われた。翌日から正式の会議があるため、今日1日は何のスケジュールもなかった。そのためどうやって時間をつぶすか悩んでいたところだった。

朝食後、その人と一緒に、ミャンマーの民主化のための集会に参加した。行って見たら、フィリピンにある中国大使館の前だった。集会の主な内容は、中国の親ミャンマー軍部独裁政策を撤回するようにというものだった。この集会は今日、全世界で同時多発的に行われるということだった。

2006年9月に、ミャンマーの人権問題はアメリカの発議の下、国連安保理の案件として上程された。だが、2007年1月に安保理の阜?ナ、理事国である中国とロシアが拒否権を行使したため、案件の通過は実現しなかった。集会の参加者達はこの問題を取り上げ、中国が対ミャンマー政策を切り替えなければならないと主張していたのだった。

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ミャンマーではなく、’ビルマ’と呼んでほしい

ミャンマーはアジアで、北朝鮮の次に独裁がひどい国だ。88年に民主的な総選を通じて、アウンサン・スーチー女史が導くビルマ民族民主同盟(National League for Burmese Democracy)が、90%を越える支持を得て多数党になった。しかし、ミャンマー軍部はこの総選を無効にして、民主的に選出された国会議員を投獄したり国外に追放し、民主主義を抹殺したのだ。

筆者は多くの民主主義関連の国際会議で、ミャンマーの沢山の民主主義活動家に会った。そして、彼らを通じて多くの教訓を得ることができた。特に、筆者は北朝鮮の民主化に関心が高く、ミャンマーと北朝鮮をたびたび比べて見た。

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北朝鮮に難民問題があるように、ミャンマーにも深刻な難民問題がある。既に、タイ-ミャンマー国境地帯を含めて、数叙怩フ難民が集まって住む難民村が形成されている。一時、脱北者も難民村を形成できないかと、ミャンマーの難民村を検討したこともあった。また、筆者が運営する対北放送、開かれた北朝鮮放送を設立する前に、ビルマ民主化の声放送(Democratic Voice of Burma)の関係者たちとインタビューをしたこともある。そこで多くの助けを得た。

ミャンマーの民主主義闘争の事例は、北朝鮮と比べても学ぶ点が多いが、韓国と比べてみても示唆するところが大きい。87年に、韓国で大規模な民主化デモがあったように、ミャンマーでは88年に大規模デモがあった。韓国は軍部が民主化デモを、軍隊を動員して残忍に踏みにじらず、直選制を受け入れたが、ミャンマーは民主的な総選自体を否定して独裁に復帰した。

このように、韓国とミャンマー軍部の、互いに異なる選択のため、20年後の韓国とミャンマー社会の運命は完全に変わってしまった。韓国は民主主義と経済の発展を同時に謳歌し、先進国の隊列に合流しており、ミャンマーは相変らず独裁と低い発展に苦しみながら、アジアの最貧困国の1つとして遅れをとっている。

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実は筆者も、80年代に学生として民主化運動に参加して投獄された経験があるため、全斗換/盧泰愚に代表される軍部勢力にあまりよい感情は持っていなかった。だが、ミャンマーの民主主義の活動家たちと話し合い、ミャンマーの軍部と異なり、87年当時に、民主化運動を武力で抑えなかった韓国の軍部を新しい視覚で見るようになった。もし、ミャンマーのように87年に韓国の軍部も銃刀で民主勢力を抑えていたら、2007年現在、韓国社会と私の姿はどうだっただろうか。おそらく、88年当時、学生運動に参加した多くのミャンマーの学生が今も投獄されていたり、海外に追放されたように、筆者も同様の運命にあっていたかも知れない。執権勢力の瞬間の選択が、一個人の運命にどれだけ大きな影響を及ぼすことができるかということを考えた。

関心を向けなければならないアジアの国、北朝鮮とミャンマー

今はミャンマーと国号を改称したが、国際社会は国号を改称した現執権勢力の伝統性を認めていないため、相変らず新しい国号であるミャンマーを認めずに、’ビルマ’と呼ぶ。ミャンマーは60年代は韓国よりずっとうまく行っていた国だった。その国が、今ではアジア最高の独裁国家であると同時に、最貧困国である北朝鮮と比較される境遇になったのだ。

韓国にもビルマ民族民主連盟の韓国支部で活動するミャンマーの民主活動家たちがいる。筆者は数ヶ月前にこの団体と、北朝鮮とミャンマーの民主主義を比較討論する会議を、高麗大で開催した。韓国はアジアの国々の中では、最高の民主主義先進国にもかかわらず、アジアの隣国の民主主義には相変らずあまり関心がない。ビルマや北朝鮮の民主化に関心を持つ人が少しいるだけだ。これからは、韓国もアジアの隣国の民主主義に対し、更に多くの関心を持たなければならない。北朝鮮を含めて、アジアの隣国の中で、最大の関心を注がなければならない国、2ケ所を選びなさいといえば、当然、北朝鮮とミャンマーだ。

今日のミャンマー集会に参加した1人が、アウンサン・スーチー女史の写真を持っていたが、その写真と一緒に次のような言葉があった。
“Please use your liberty to promote ours. “(あなたの自由を、私たちの自由の促進のために使ってほしい)

そうだ。私たちが享受している自由を活用して、自由を享受することができない北朝鮮とミャンマーなどの国の自由を増進することに、大韓民国の国民も力を傾けなければならないだろう。