お墓を作って墓参りし、泣きわめく祭祀ごっこ
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面北朝鮮の子供は秋夕(旧盆)にどんな遊びをするのだろうか?
北朝鮮ではコンピューターが普及しておらず、遊園地などの遊び場がないため、韓国の70〜80年代のように、めんこ遊びや鬼ごっこなどの遊びをよくする。だが、食糧難を経験して、北朝鮮の子供達の間で新しく流行った遊びがある。「祭祀(チェサ、法事)ごっこ」と「銃殺ごっこ」だ。
去年、韓国にやってきた新義州(シニジュ)出身の脱北者、キム・ハヨン(仮名34歳)さんは、秋夕の前から子供たちの中で流行る遊びは「祭祀ごっこ」と語った。大人の行動を真似て遊びに取り込む子供達がいるとはいっても、最初は大人たちも驚いたという。
キムさんは「秋夕が近づけば、子供達が掘った土を積みあげ、両親を真似てお辞儀をする遊びが時々見られる」と述べ、「異様なのは、土を積み上げてお墓を作りその前で泣きわめく子供達の姿」と言った。
キムさんは「町の事務所や人民班の会議で『両親が関心を持って、子供達が誤った遊び方をしないように厳しくたしなめなさい』と指摘するほど」と語った。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面この祭祀ごっこがいつどこで始まったのかはわからない。だが、昔はなかった祭祀ごっこが見られるようになったのは、墓参り文化を引き継ごうとするためではない。
キムさんは「1990年代の半ばに、住民が飢えて死んでいく姿を見て育った子供達が、葬礼文化を遊びにしたようだ」と語っている。
銃殺ごっこ、子供達の間で流行
北朝鮮で物議をかもしたのは、祭祀ごっこだけではない。2000年代に入り、北朝鮮では子供達が集団や個別の公開処刑をまねて作った「銃殺ごっこ」という新しい遊びが広まったという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)市出身の脱北者、チョ・キョンチョル(仮名40)さんの話は衝撃的だ。
「ある日、職場から帰る途中、アパートの倉庫の下に6、7人の子供が1列に立っているのを見ました。私は鬼ごっこでもするのかと思いました。ところが、前には木の棒を手に持った子供が3人立っていました」
「子供達は棒をわきの間に挟んで、的をねらう格好をしました。鉄砲のように棒を持った子供達が『パン、パン、パン』と銃声をまねた声を出し、倉庫の前に立っていた子供達が1人ずつ倒れたのです。私はあまりに驚いて『こら、お前ら!』と言ったら、子供達は慌てて逃げて行きました」
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面当時、アパートから見下ろしていた両親が、子供達を見て大声を出して、通り過ぎるお年寄りもとても驚いたという。「鉄砲ごっこ」でもなく、人を銃殺する遊びに、大人たちは衝撃を受けた。翌日、職場に行って同僚にこの事実を伝えたら、同僚たちはその遊びを知らなかったのかと言い、むしろ笑われたという。
平安北道に住む内部情報筋は19日、記者とのメッセージでのやりとりで「最近、子供達が銃殺ごっこをしている。銃声がよく聞こえるためだ」と語った。
公開処刑を見た子どもたちがやり出した「銃殺ごっこ」
銃殺ごっこは1998年から2002年の間に、北朝鮮軍の保衛司令部が全国で集団銃殺を行ったため、流行り始めたという。
北朝鮮で、公開処刑は建国の初期から続いていたが、頻繁に、時には集団銃殺の形態で行われるようになったのは、90年代半ばの「苦難の行軍」の後からだ。金正日は1995年6月から、「銃声を轟かせよ」という指示を下し、公開銃殺による恐怖政治を本格化させた。 1998年から2002年の間に行われた公開処刑は、社会安全部が1人または2、3人ずつ処刑したものとは完全に異なるものだった。目撃者の証言によれば、保衛司令部は1度に10人以上立たせて銃殺したという。
当時、子供たちの間で流行り始めた銃殺ごっこは、平壌にまで報告されて、厳しく阻むようにという内部指示が下されたそうだ。
各地域の人民班の会議で「子供たちの中に現われている非現実的な遊びを禁止させよ」という教育内容が読み上げられた。だが、他の遊びが発展せずに、公開銃殺も続く中、大人が阻もうとしてもやめさせられないと、北朝鮮の人々は語っている。