今月5日、北朝鮮の国家安全保衛部は外国人スパイと、彼らに協力した北朝鮮の住民を検挙したスパイ集団事件を、記者会見を開いて対外的に公開した。

北朝鮮政府が事件の発浮ニ共に、多くの証拠品も公開したが、脱北者の多くはこの事件がでっちあげられた可能性もあると考えている。この間、スパイでっち上げ事件が頻繁にあったからだ。

北朝鮮では各道ごとに、‘反スパイ闘争展覧館’を作り、スパイ事件に関係した者や証拠品の写真などを展示している。北朝鮮が半世紀間強調してきた、反帝反米闘争の生きた教育の場所が、まさにこの展覧館だ。

咸鏡道清津市の‘反スパイ闘争展覧館’には、黄金窃盗犯がスパイとしてでっち上げられて処刑された事件の写真まである。

# 事例1. 金の密輸犯の家族全員がスパイ集団として追われる

2002年に国内に入国した脱北者、ハン・チョルジュン氏(仮名)は、咸鏡道穏城郡のオンタン区で、人民班に属していたある家族が、突然スパイとして逮捕された事件を憶えている。この家族の事件についての資料が、捜査が終わった後で、反スパイ闘争展覧館に関連写真と共に展示された。

スパイ事件の主人公は、咸鏡南道咸興市に住み、外貨稼ぎの事業所に勤めていた平凡な会社員、チャン・キョンミン(仮名)氏だった。

ハン氏は“1988年のことだった。10月のある日の夜9時頃に、私の家を訪問したチャン氏のお母さんが、家で使っていた台所道具を持ってきた。なぜかと思っていたが、私の母にその品物を与え、この間失礼なことがあったら理解してほしいと言った。チャン氏のお母さんは夜遅くまで母と話をして帰ったが、翌日、事件が起きた。チャン氏の家族全員が中国に逃走したというのだった”

チャン氏の家族が豆満江を渡っていた途中、7歳になった娘と父親がおぼれて亡くなった。

ハン氏は“当時人民反の集まりで、チャン氏の家族が祖国を裏切った反逆者とされ、生き残った家族は全員中国から送還されると人民班長が報告した”と語った。

次は脱北者のハン氏の証言だ。

“数日後、生き残ったチャン氏の家族は全員北朝鮮に送還された。その後、チャン氏の家族について何も知ることができなかった。だが、本当に恐ろしいことが起きていた。亡くなったチャン氏の娘と父親は、わらでくるくると巻かれて、人々が最も多く通る庶囗H(土砂道)の交差点に埋められてしまった。祖国反逆者なので、人々の足に踏まれなさいということだった”

当時、チャン氏は金を密輸して、海外に逃走した祖国の裏切り者だったが、スパイ容疑は公開されなかった。

ハン氏は2年後、中学校6年生(17歳)になった時、教育として学校が組織して、咸鏡道清津市の‘反スパイ闘争展覧館’をクラスの友だちと訪問した。展覧館を観覧していた時、'反共和国スパイ分子'という説明と一緒に、壁にチャン氏の母と、生き残った家族の写真がかかっているのを見つけた。チャン氏の家族を知っていた友だちもみな、金の密売者がスパイにされているのを見て驚いた。

“チャン氏はスパイではなく、金を密かに取り引きした密売業者だった。当時、人民班長や穏城の人々は皆、そのように理解していた。北朝鮮で金や銀は全て、金正日の手に入るようになっている。そのため、金の密売は事実上大罪だ。金の密輸が発覚したら、保衛部の調査を受けるため、密かに家族を連れて穏城に来て、両親と弟を連れて脱出した事件だった”

# 事例2. 聖書を持っていてもスパイに

両江道ポチョン郡のカサン里駅の近くに住んでいたアン・グムスク(仮名, 逮捕された当時24歳)氏は、1990年代半ばの‘苦難の行軍’の時期に、生活のために鴨緑江を越えた平凡な北朝鮮の女性だ。

1996年初めに北朝鮮を脱出した後、2回北朝鮮に行き、ある未亡人の生活費を援助していたアン氏は、3回目の訪問の時に、聖書を持って行った。だが、アン氏は北朝鮮の国境警備隊の軍人に逮捕され、聖書も見付かった。

アン氏は聖書を持ち込もうとしたという罪目で保衛部に引き渡されたが、その後、アン氏は行方不明になっている。

2005年に韓国に入国した両江道出身の脱北者、パク・ミョンチョル(仮名)氏は、“北朝鮮は、アン氏が南朝鮮の安全企画部のやつらが、中国の黒竜江に作った宗教学校でスパイの任務を受けたスパイだと宣伝している”と語った。

パク氏はまた、“両江道の恵山にある‘反スパイ闘争展覧館’に行けば、逮捕当時にアン氏が携帯していた聖書もある”と述べ、“北朝鮮がアン氏の写真をかけておいて、展覧館を訪問した人たちに、反スパイ闘争の正当性について宣伝している”と説明した。

パク氏はまた、“北朝鮮でスパイは難しく考えられるものではない。中国にいる親戚に故郷の消息を伝えても、スパイになることがある。最近では、中朝国境地域で、住民が携帯電話で韓国にいる家族と通話をして捕まっても、スパイになる可能性がある。つまり、保衛部がどのように決めるかによる”と語った。

北朝鮮では90年代後半に、社会安全部(警察庁)がスパイを摘発する組職を作り、農業担当書記のΗクア二や、平南道の責任書記、Ηユンソクなどをスパイとして処刑した。一部には、この時2万5千人の罪のない住民たちが、スパイ容疑で被害を被ったという主張もある。

今回、北朝鮮の国家安全保衛部が発表したスパイ事件で言及された現地の協力者も、‘反スパイ闘争展覧館’で、教育の資料として宣伝されている可能性が高い。

北朝鮮には、‘反スパイ闘争展覧館’が平壌と各道に1ヶ所ずつあり、各道の国家安全保衛部’が直接管理している。

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