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※この記事には事故現場の凄惨な光景の描写が含まれます。

2004年12月に起きたスマトラ沖地震。各地で津波による甚大な被害が発生したが、スリランカ南部では津波が列車を飲み込んで、約1700人もの貴重な人命が失われた。これが、2世紀近い鉄道の歴史で最悪の鉄道事故とされている。

ところが、北朝鮮では未確認ながら、それを遥かに上回る死者が発生したとされる鉄道事故が起きている。

咸鏡南道(ハムギョンナムド)の咸興(ハムン)の龍城(リョンソン)駅では1979年5月、軍需工場で製造された火薬25トンを積んだ貨物列車5両が何らかの理由で火災を起こした。近隣の工場労働者が見守る中、別の通勤列車が到着したところで大爆発を起こし、死者3000人、負傷者1万人を出す大惨事となったとされる。北朝鮮当局は自己の隠蔽に汲々としたが、保安署(警察署)に勤めていた脱北者の証言で事故が明るみに出た。

(参考記事:通勤列車が吹き飛び3000人死亡…北朝鮮「大規模爆発」事故の地獄絵図

北朝鮮が未曾有の大飢饉「苦難の行軍」に襲われ、国全体が混乱状態に陥り事故が多発したが、事実ならば前述のものを上回る事故が起きていた。

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事故が起きたのは1996年12月3日、慈江道(チャガンド)の満浦(マンポ)から平安南道(ピョンアンナムド)の順川(スンチョン)を結ぶ、満浦線でのことだ。慈江道を南北に貫き、平壌へと続く重要路線の一つだ。

満浦から平壌を経由し、黄海南道(ファンヘナムド)の海州(ヘジュ)を約18時間で結ぶ16・15列車は、おりからの停電の影響で出発できず、1週間遅れで満浦駅を出発した。12両の客車は、列車の出発を首を長くして待っていた乗客ですし詰め状態で、屋根の上にも多数の乗客が乗っていた。兵士、商人、コチェビ、地元で採れた薬草を持って食糧の買い出しに出た人が主な乗客だった。

この列車は前川(チョンチョン)と熙川(ヒチョン)の間にある松源(ソンウォン)郡の「ケゴゲ」と呼ばれる難所を通る。数十にも及ぶトンネルに加え、急勾配の連続で、機関車を列車の前後に連結し、前方の機関車が客車を引き、後方の機関車がスピード調節するというアクロバティックな運行を強いられる危険区間だ。

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安全側線もいたるところに設置されていた。これは勾配でブレーキが効かなくなった場合に、意図的に列車を脱線させ事故を防ぐためのものだ。しかし、朝鮮が日本の植民地支配下にあった1939年に開通して以来、施設全体がまともに整備されていなかった。枕木は数十年そのままで、路盤もデコボコで、安全側線を含めレールもボロボロだった。毎年必ず2件の事故が起こる区間だったが、当局は予算不足を理由に修理を行わず運行を続けさせた。

この日の列車は機関車を含めて14両編成はずだったが、機関車不足で本来連結すべき後方の機関車なしで運行されていた。運転士は鉄道局司令長の指示を受け、自分の腕だけに頼って列車を進めることにした。また、本来ならば電線には3300ボルトの直流電流が流れているはずだが、電力難で2000〜2300ボルトの電圧しかなく、機関車は本来の機能を発揮できない状態だった。

列車がいくつかのトンネルを通過したところで、突然ブレーキから空気が漏れ、列車は制御不能に陥った。コントロールを失った列車は、急勾配の線路をまるでジェットコースターのように疾走した。「このスピードなら朝には家に着く」と喜ぶ乗客がいたほどだという。

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状況を把握していたのは、屋根の上に乗っていた乗客たちだ。しかし、飛び降りようにもスピードが速くて無理だった。運転士は列車を安全側線に入れようとしたが、猛スピードで走る列車はもはや統制不可能だった。

やがて連結が外れた客車は、崖を転がって数百メートル下の谷に落ちていった。谷底には凄惨な光景が広がっていた。

足のちぎれた人、頭部を吹き飛ばされた人など、悲惨な状態の遺体が積み重なっていた。生き残った人も治療を受けられないまま次々に息を引き取った。最も多くの死者を出したのは、機関車のすぐ後ろに繋がれていた車両で、乗客は兵士たちだった。

当局は、近隣の軍の機械化部隊を動員し、客車を撤去、負傷者の救出、遺体の搬出に当たらせた。同時に、事故の噂が広がり、ただでさえ荒んでいた世論を刺激しないように箝口令を敷き、「スパイがレールの犬釘を抜いて転覆させた」などと宣伝、事故を隠蔽しようとした。

しかし、乗客の出身地が広範囲に及んだせいか、事故の噂はあっという間に広がった。噂された死者は2000人。1両に500人、12両で6000人が乗っていて、その3分の1が死亡したというものだが、事故現場を目撃した人たちは「5000人は死んだはずだ」と口を揃えた。ちなみに鉄道規格が似ている中国の鉄道車両の定員は120人程度であることを考えると、死者5000人はオーバーだとしても、数千人が命を落としたことは想像に難くない。

朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の保衛司令部が事故の調査に乗り出し、生き残った運転士、价川(ケチョン)鉄道総局の司令長、現場の鉄道隊長など7人が死刑となり、价川鉄道総局の幹部数十人が更迭された。遺族には慰謝料の代わりにテトロンの服地が渡された。筆者の隣家に住んでいた女性は、慈江道に薬草を取りに行った帰りに事故に遭ったが、結局遺体は見つけられなかった。

ケゴゲ列車転覆事故は、人民の生活に目を向けようとしなかった金正日政権が引き起こした人災と言えよう。

ハン・ヨンジン記者(平壌出身、脱北後の2002年から韓国在住)