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1990年代の初頭は、旧ソ連で希望と楽観があふれていた時期だった。

ソ連の人々はアメリカやヨーロッパをはじめとする先進国をモデルとして見て、彼らのように市場経済と自由民主主義を基盤とした社会を建設すれば、すべての難しい社会問題を1日も早く解決することができると考えた。ロシアの市民は1917年の革命から、ソ連で展開された共産主義という歴史的な実験を、先祖たちが判断を誤ったものと見なして、共産主義の遺産を早く無くしてしまおうと最善をつくした。

ソ連のメディアは、スターリンが行った大衆の虐殺とテロを確認する資料をたくさん発表し、共産主義政権の人気は崩壊した。当時、’スターリン’の名前はほとんど悪口としてあげられた。ソ連時代は’失われた70年’と考えられた。もちろん、そのように思わない人もいたが、彼らは語ることができずに、変化した社会の雰囲気に影響を及ぼすことができなかった。

しかし最近、ロシアの事情は随分変わった。共産主義独裁の過ちと犯罪を示す資料が次々と出ているが、こうした新しい証拠も、大衆の意識をこれ以上変えることができない。主流のメディアによる、ソ連時代に対する批判も随分減った。多くの人がソ連時代は、’失われた70年’というよりも、’偉大な70年’と主張するようになった。

このような事実を確認するには、世論調査の結果を見れば良い。

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2006年にロシアで一番人気が高い社会学研究所である、レバーダ(Levada)研究所が、国民の歴史意識を調査した。その結果によれば、20世紀のソ連及びロシアの最高指導者の中で、最も人気がある人物は、なんとレーニンだった。レーニンに次ぐ人物はKGB出身のアンドロホフ(Andropov, 1914-84)と、ソ連の末期を象徴するブレジネフ(Brezhnev, 1906-82)だった。スターリンは4位だった。エリツィンやゴルバチョフのように、民主化や自由化を体現した人物は人気度が最も低かった。

また、2003年に実施された世論調査によれば、ゴルバチョフの改革を肯定的に評価する人は20.4%に過ぎず、この改革が国の発展を妨げる障害物になったと思う国民が40.6%に達した。反対に、1917年革命を否定的に評価した人は28.2%で、肯定的に評価した人は37.4%だった。

旧ソ連への回帰情緒、2つの理由

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筆者はしばしばロシアに行って、ロシアのインターネットをたくさん見るため、この結果はそれほど意外なものではないと考える。

もちろん、現在のロシアで旧ソ連の社会主義時代に戻りたがるロシア人はあまり多くない。しかし、ソ連の過去に対する共感がある。こうした雰囲気を一番よく表現した人が、プーチン大統領だ。2005年に彼は、“ソ連の崩壊を残念に思わない人は感情がなく、ソ連の復活を考える人は頭がない”と言った。

旧ソ連に対して情緒的共感を持つ理由は2つあるだろう。

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何よりも、ソ連を社会主義、共産主義社会と考える人々は、ソ連社会に対して友好的だ。もちろん、数もあまり多くはない。多くの人々は、共産主義に対して共感しない。だが、ソ連は全世界に影響を及ぼすことができる超大国だったが、そうした国の崩壊がソ連・ロシアの国際的地位を破壊させた災いであると考えている。

共産主義思想のため、旧ソ連に対する共感を感じる人はあまり多くない。しかし、極少数とも言えない。社会主義の伝統を象徴するロシアの共産党が、選挙の時に10%程度の支持率を獲得していることから、このような事実を確認できる。

こうした人の一部は、ソ連時代にはある程度よい生活ができたが、今は生活水準や社会的地位が落ちた社会階層の出身だ。だが、驚くべきことに、彼らのうち、幹部出身はあまり多くない。なぜならば、幹部出身は資本主義社会によく適応して、自分の昔の特権を維持するだけでなく、更に拡大した。

現在の社会的地位を不満に思う人の中には、過去の社会主義時代に、特権が多い軍事工業に携わった人が多い。ソ連政府は軍事事業におびただしい資源を投資したが、これらの部門は頭がよい技術者や学者にとって大きな魅力があった。しかし、ソ連の崩壊以後、軍隊の多くが必要なくなり、彼らの所得もかなり減少して社会的地位も落ちた。

しかし、ソ連崩壊のために苦労した知識人たちは、一瞬にして1千万人を虐殺することができる核兵器を開発しようと努力した技術者たちだけではない。資本主義に移行する時、ソ連から国家予算として後援をもらっていた機関は、すべてひどい打撃を受けた。学校や図書館、研究所などに携わった知識人たちは、社会の下層に墜落した。1985年に大学教授の月給は中級の党幹部をしのぐ水準だったが、1995年には雑貨屋を営む人より低かった。最近はある程度よくなったが、教授や教員たちはまだ、1990年代の苦労を忘れることができずに、1985年以前の時代を’黄金時代’と思うきらいがある。

また、旧ソ連の経済の市場化の過程で苦労の多かった階層は、年金をもらって暮らすお年寄りだ。ソ連時代に彼らは少しの年金で暮らすことができたが、今は子供や家族の助けを借りることができないお年寄りは、生活がとても苦しい。

ソ連時代の経験を理念化する傾向がある、もう1つの階層は、20代の青年だ。彼らは社会主義を経験することがなかったから、その体制の弱点を知らないが、彼らの暮らしてきた資本主義が引き起こした社会問題を自分の身で体験した。彼らにとってソ連時代は’伝説的な’ 時代と言える。彼らの中に生じた左派傾向性は、実は80年代の韓国の左派学生層と似ている。(続く)