同時に金正日は個別指導と称して、パク・エラを自らの執務室や別荘に呼び出したりしていた。慈江道(チャガンド)の江界(カンゲ)や淵豊(ヨンプン)にある招待所にも入り浸っていた。
既に北朝鮮の実権を握っていた金正日から寵愛されたパク・エラだが、1980年代に入ってからは試練の連続となった。金正日は成恵琳との間に金正男という男の子を授かったものの、2人の生活はうまくいかなかった。パク・エラの存在がその一因となったのだろう。
幹部の間では「金正日は成恵琳を捨てて、パク・エラと同棲するだろう」と囁かれていた。公式の場に立つことはなくても、事実上のファーストレディの座はもはや彼女のものかと思われた。ところが、それは彼女自身の痛恨のミスで水の泡と化してしまった。