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人民学校(小学校)の舞踊小組で踊りを習い、全国少年芸術祝典の独舞で高い評価を受けるなど、子供の頃から頭角を現した彼女は、12歳だった1958年に、平壌芸術大学(現在の金元均名称音楽総合大学)に飛び級で進学した。

20歳になった1967年には全国舞踊個人競演(コンクール)で1等となった。1968年から1970年までは国立民族歌劇団の舞踊俳優として活躍し、その後はピバダ(血の海)歌劇団に入って革命歌劇「ピバダ」(血の海)や「花を売る乙女」でヒロインを演じた。万寿台(マンギョンデ)芸術団では「祖国のツツジ」などの歌劇に出演すると同時に、様々な舞踊作品を発表した。

ちょうどそのころ、パク・エラは運命的な出会いをする。金日成総合大学を卒業し、党中央委員会の宣伝扇動部に配置され、芸術事業の指導に当たってい後の最高指導者、金正日に見初められたのだ。