現在の北朝鮮政府の前身にあたる北朝鮮臨時人民委員会は、1946年7月に女性の選挙権、被選挙権の保障、強制結婚の反対、離婚の自由、養育費訴訟権の認定、一夫多妻制の否定などを謳った「朝鮮男女平等権法についての法令」を発表した。

当時としては非常に先進的な法律と言えたが、北朝鮮社会の実態とは大きな乖離がある。女性が虐げられ、性暴力が日常的に加えられる状況は70数年経っても改善していないのだ。市場経済化に象徴される社会状況の変化が進む中、性暴力の形態も変化しており、その深刻度は増していると言える。

 ※この記事には、性暴力の被害に関する具体的な記述が含まれています。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が先月31日に発表した報告書「理由もなく夜に涙が出る 北朝鮮での性暴力の実情」。報告書で最も多くのページを割いて伝えているのは、北朝鮮の拘禁施設における女性に対する性暴力だ。

両江道(リャンガンド)で密輸に携わっていた30代女性のユン・スリョンさん。2011年末、他の女性と共に薬草を中国に密輸しようとして逮捕された。

2人は運良く逃亡に成功し、7ヶ月の間身を隠していたが、絶えきれずに保衛部(秘密警察)の幹部を訪ね自首した。2012年8月に逮捕され勾留場に入れられた彼女は取調官から性的暴行を受けた。

「4日間、食べ物を全く与えられませんでした。暗い留置場に一人入れられ、様子を見に来る人も話しかける人もいませんでした。その日、新しい取調官がやってきたと思ったら暴行されました。言葉を発することもなくズボンをおろして私に飛びかかってきました。私はひとりきりで、逃げようがありませんでした。5人が座ればいっぱいになるほどの狭い空間だった上に、相手は若かったのです。『拒否すればどんな罰を受けるかわからない』と思い、諦めました…どうしようもありませんでした。(性的に)暴行されても何もできませんでした」

「取調官に殴られるかもしれません。彼らにとって人を殴ることは朝飯前です。気に食わなければ犬を足蹴にするよりも簡単に人を殴るのです。その時、心配していたのは6歳の娘のことでした。独りにして出てきてしまったのです」

「私は町内の勾留場にいたのですが、市の勾留場に身柄を移されれば、誰にも守ってもらえなくなります。それで、ここでは言われたことに従い、外に出ようと決心しました。家に独りで残された娘のことがあまりにも心配で涙すら出ませんでした。ただただ、この人(取調官)を気持ちよくしてやって、早く娘のもとに行きたいという思いでいっぱいでした」

「あのときは身を捧げて早く娘のもとに帰りたいという思いしかありませんでした。怒りもなく、ただ『むしろうまくいった』と思っていました。今はあれが性暴力だったことがわかりますが」

「取調官は私を暴行してから、食事と服を持ってきました。人民班長(町内会長)のおばあさんからの差し入れでした。(中略)人民班の活動にも参加し、班長は母親のような存在でした。だから私のことを助けてくれて、1日に1回は食事を差し入れてくれていたのですが、(取調官は)止めていたのです」

「娘はあのときのトラウマが残っていて、オートバイの音が聞こえるだけで怖がります。北朝鮮の保安員はオートバイに乗ってやって来るからです。私が逮捕された日も、保安員がオートバイに乗ってやって来ました。娘を落ち着かせるために、保安署(警察署)に出頭すると言いました。あの日以来、娘はオートバイの音が聞こえると『お母さん!保安員が来た!隠れて!』と言います」

「今になって考えると…彼らは制服を着て気の向くままに法を振りかざす人々でした。女性を性のおもちゃのように扱ってはダメです。北朝鮮にも『強姦』という言葉はありますが、私がされたことがそうだとは思いませんでした。ここ(韓国)に来てようやく性的暴行に当たるのだということを知りました。自分だけがあんな目に遭ったわけではなく、収監された女性は皆同じだと思いました」

ユンさんが自らの被害について話すのは今回が初めてだ。それは過去の経験から「話してはならない」と自分に言い聞かせていたからだ。

2003〜4年ごろ、ユンさんの祖父母と同じ町内に住んでいた18歳の女性が大学を退学になった。町内では「性的に紊(びん)乱なことをして追い出された」との噂だった。寮で男子学生から性的暴行を受けたが、非難されたのは被害者の方だった。

また2004年の毎週木曜日、従姉妹など女性10人で金日成革命史研究所を警備する仕事をさせられたが、ある日の夜、従姉妹がやってこなかった。来る途中に保安員から性的暴行を受けたのだ。しかし、本人も叔母も羞恥心から誰にも話そうとしなかった。

釈放されたユンさんは、2013年7月にトゥルチュク(クロマメノキ、ブルーベリーの一種)を取るために一時的に中国に向かったが逮捕され、12月に強制送還された。恵山の保衛部の勾留場で、同室だった23歳の女性からこのような話を聞かされた。

「(前略)男の保衛員に下着を含めて服を全部脱げと言われたそうです。彼女は一文無しでした。保衛員は彼女の手を縛りあげ殴りつけて、脅かしてから暴行したそうです。彼女はずっと泣いていました。自分も同じ目に遭ったことを思い起こしながら彼女を落ち着かせようとしました。そして、保衛員の望み通りにしてやれば助けを得て早く家に帰れると教えてあげました…それが最善の方法だったのです」

40代女性のキム・ウナさんは、2015年に中国を経て韓国にやってきた。2012年に中国から強制送還され、咸鏡北道の勾留場で性的暴行を受けた。

「彼(取締官)は私に『中国の男と暮らしていたのか、中国の男と寝てどうだったのか』などと性的な質問を繰り返しました。自分の聞きたい通りにこちらが言わなければ、鉄棒で殴り、胸と顔を押さえつけました。何かを聞くために私の顔と腕を触り、陰部をまさぐりました。不快で嫌でしたが、他のことは考えませんでした」

彼女は弁護士からも同じような目に遭っていたと証言した。

「弁護士は私から調査を行いつつ、万年筆でメモを取っていました。時々手を止めて、万年筆や手で私の体のあちこちを突きました。腕と胸と…抱きついてきたこともありました…不愉快で当惑しましたが何も(抵抗)できませんでした」

ちなみに北朝鮮の弁護士は形ばかりのもので、被告の利益を保護するのではなく、検察や裁判官と共に被告を非難することすらある。

「政府の人間や力のある男によるこの手の暴力は極めて正常なものと受け止められているため、どこかに通報するなんて想像もできませんでした。『法の執行官』が加害者なのにどこへ行けというのですか。私たち(被害者)が被害を受けたことすら認識できていないのに、誰が助けてくれるというのですか。性暴力は間違ったことで、自分の責任ではありません。しかし、『法の執行官』が自分を保護してくれるなどとは、北朝鮮では考えたことすらありませんでした」

北朝鮮は2017年7月、国連女性差別撤廃委員会に対する報告で、強姦罪での処罰者数を2008年9人、2011年7人、2015年5人、上下関係を利用しての強姦の処罰者数を2008年5人、2011年6人、2015年3人などと報告したが、実際はこれより遥かに多くの事例があるものと思われる。摘発事例が少ないのは、性暴力を取り締まる側の保安員、保衛員などが加害者になっているために他ならない。

北朝鮮で幹部を務めていた証言者によると、性暴力が事件化するのは政治的な背景がある場合に限られるという。

教師として働いていたソン・サンヒョンさんによれば、2007年に自らが勤務していた軍部隊の将校が女性の部下と性的関係を持った容疑で降格の処分を受けたが、そのポストを狙っていた何者かが密告したものだという。

50代女性のキム・スニョンさんは2012年末、中国から強制送還され、保衛部の取締官から性的暴行を受けた。数カ月後、全巨里(チョンゴリ)教化所に移送されたが、女性の受刑者が看守と性的関係を持っているという話を他の受刑者から聞かされた。

それから1年後、彼女がいる区域の党書記と(受刑者の)収監班の班長の関係について噂が広がった。班長が党書記のオフィスに掃除しに入り長時間出てこない、オフィスの隣の部屋にいる受刑者が夜に2人が抱き合ってキスしている光景を見たというものだ。

これを受け、受刑者を対象とした当局による調査が行われた。

党書記は権力を悪用して班長に性的関係を求めていたことで更迭された。ところが、処罰されたのは加害者だけではなかった。被害者の班長は降格され、家畜を飼育する区域に送られた。また2人の関係について噂を広めた受刑者は、懲罰房にあたる「落伍者班」送りとなった。

性犯罪に対する捜査が行われたとしても、被害者はセカンドレイプ(二次被害)に苦しむこととなる。

平安南道(ピョンアンナムド)の企業所で働いていて2011年に脱北した50代のペク・ミンジュンさんは、2010年の夏に起きたことを生々しく覚えている。

部下の女性がオフィスにやってきた。服は破け、ブラジャーもなく、全身血だらけだった。彼女は保安所(派出所)に行って性的暴行を受けたと訴え出た。捜査が始まったが、ペクさんから、被害女性から頼みごとをされた。

ある保安員から連絡が来ないようにしてほしいというのだ。事情聴取で「強姦はどうだったか、どんな気分だったか」と事細かく聞いてくるのだという。ペクさんが保安所に「(被害者の嫌がることは)止めてやって欲しい」と伝えたところ、捜査そのものが終了してしまった。

北朝鮮で大学教授だったキム・チョルグクさんは2014年、両江道で保安署の幹部となった友人からこのような話を聞かされた。保安員たちは性暴力の案件の取り調べで、加害者、被害者の話を聞くのは「ポルノを見るより楽しい」と考えているというのだ。

また、このような話も聞かされた。権力者の娘に性的暴行を加えた容疑で、党の高級幹部を取り調べていたが「面倒なことになった。うまく処理しなければならなかったのに、静かに終わらせてくれないか」と逆に凄まれたというのだ。結局、幹部は教化所送りにはならず、降格、僻地への追放で済まされた。これでも被害女性が権力者の娘だったから、ここまでの処罰になったのだ。彼女は「事を荒立てた」との理由で非難された。

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