国際的な人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は先月31日、「理由もなく夜に涙が出る 北朝鮮での性暴力の実情」と題した報告書を発表した。(英語版、韓国語版)
金正恩氏が権力の座に就いた2011年以降に脱北した54人と、脱北した北朝鮮の元公務員8人を対象にしたインタビューを元に作成されたこの報告書では、北朝鮮における性暴力の現状と、それを生み出す社会的土壌について詳しく解説されている。
報告書が挙げたのは、社会の根幹を揺るがす大きな変化が、弱い立場にいる女性を犠牲にしたという点だ。
「もはや日常生活の一部」
北朝鮮はかつて、世界に類を見ないほどの配給依存型の社会だった。人々は食料品、衣服から住宅に至るまで、ほとんどすべてのものを国から配給として受け取っていた。ところが、経済、農業政策の積み重なった失敗、共産圏の崩壊で援助が得られなくなったことで旧来のシステムが崩壊。そこに自然災害が重なったことで、1990年代後半に「苦難の行軍」と呼ばれる未曾有の食糧危機が起きた。
人々が次から次へと餓死してゆく中、女性たちは生き残るため、市場での商売を始めた。しかし、当時は商売そのものが違法行為だったため、取締官にワイロを渡し、黙認してもらう必要があった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面このワイロには「性上納」も含まれている。朝鮮労働党や国営工場、各種の国営企業所の幹部、市場管理人、保安員(警察官)、保衛員(秘密警察)など権限を持ったあらゆる男性が性暴力に加担した。身体接触から始まり、最終的には女性の望まない性行為につながっていった。
(参考記事:北朝鮮女性を苦しめる「マダラス」と呼ばれる性上納行為)HRWのインタビューに応じた40代女性のオ・ジョンヒさんは、両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)の市場で衣類を売っていたが、2014年に脱北するまでは取締官から繰り返し性上納を強いられていた。抵抗することも通報することもできず、静かにその場を離れたりすることでしか、行為から逃れられなかったという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「何度も(性的暴力の)被害に遭いました。市場の取締官や保安員は気の向くままに、市場の外にある部屋や他の場所に呼び出しました。どうしようもありません。私たちのことを性的なおもちゃと考えているというのに…私たち(女性)は男たちの手のひらの上で転がされているのです。力のある男がそばにいなければ女は生きていけません」
女性たちは、権限を持った男性から目をつけられれば、性や金品の上納から逃れられない。拒否すればよりひどい目に遭わされるだけではなく、商売ができなくなったり、教化所(刑務所)送りになったり、様々な制裁を加えられる。性暴力があまりにも蔓延し、もはや日常生活の一部と化していると脱北女性たちは証言した。
(参考記事:北朝鮮女性、性的被害の生々しい証言「ひと月に5~6回も襲われた」)女性たちが沈黙を強いられる理由はほかにもある。性暴力を含めた性に関する教育をほとんど受けておらず、知識を持ち合わせていないことだ。
21人の脱北者は、生理、妊娠などについての教育は受けたものの、セクシャリティ、生殖器官などについてはほとんど教わっていないと答えた。また、30人の脱北者は、セイファーセックスや性感染症についての教育を受けていないと答えた。2人の元医師、1人の看護師も北朝鮮では性感染症に関する知識が限られていると証言した。
(参考記事:金正恩氏のせいで性感染症の拡大が止まらない北朝鮮)人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面
また、ドメスティック・バイオレンス、セクシャル・ハラスメントなどと言った性暴力に関する用語も認知されておらず、北朝鮮の専門家は強姦の意味を狭義で捉えていて、「マリタル・レイプ」(配偶者からのレイプ)などの意味を理解しなかったという。
性暴力の被害に遭った女性をさらに苦しめるのは、「女性の方に問題があったからだ」として、加害者ではなく被害者の落ち度を責める社会的風潮だ。
両江道(リャンガンド)で教師を務め、2013年に脱北したリ・チュンソクさんは、北朝鮮における女性の地位の低さについて次のように語った。
「男は天で女は地です。男たちが何を考え何を語るかが重要なのです。私たちは絶対的に男たちに従い、また尊重し、尊敬しなければなりません」
そんなリさんも女性差別を内面化し、性暴力の被害女性をこのように見ている。
「レイプされたのは、女が愛嬌を振りまいていたからだ」
「お前が悪い」の大合唱に、被害女性は沈黙を強いられる。両江道(リャンガンド)出身の40代女性で2013年に脱北したユン・スネさんは次のように語った。
「(レイプされた後)恥ずかしくて怖かった。誰にも言っていない。もし言っていたら『お前が自分で墓穴を掘ったからだ』と非難されただろう」
性についての適切な教育を受けていない北朝鮮の女性たちは、脱北して韓国や第三国に定着してようやく、自分たちが受けたのが性暴力であることに気づくという。知識の不在は、脱北してもなお女性たちを性暴力の被害者にし続けるのだ。
(参考記事:韓国で「性暴力」の餌食になる脱北女性たち…被害は一般女性の10倍)報告書は関係各国や機関に対する様々な勧告で締めくくられている。加害当事国の北朝鮮に対しては、女性を性暴力から守るための法律改革、司法機関による加害者の処罰、検証体制の確立、性に関する教育の実施など40項目の勧告を行っている。
また、米国、日本、英国、EU各国などに対しても、北朝鮮に圧力を掛けるように勧告している。ここではHRWの韓国政府に対する勧告を取り上げる。
◯北朝鮮政府が、本報告書が勧告した改革措置を履行するよう公開、非公開で促す
◯北朝鮮との会談で、女性に対する身体的暴力、性暴力問題を常に議題に含める
◯北朝鮮人権法に明示された北朝鮮人権財団の設立を支援する。女性、女児への性暴力関連研究、性暴力の被害を受けた北朝鮮女性を識別するプログラムに資金援助を行う
◯性暴力被害者支援プログラムを樹立、履行する
◯北朝鮮住民に伝わる可能性のある媒体を通じてリプロダクティブ・ヘルス、性暴力、ジェンダー暴力についての情報を提供する活動を支援する
◯北朝鮮と関連するすべての援助、協力、交流プログラムを検討し、今行われている支援活動に女性に対する暴力を悪化させたり、その可能性がある活動がないか調査する。女性への暴力についてのプロジェクト開発基準を樹立し、現在と今後のプロジェクトを審議する
◯脱北者支援団体が、性暴力サバイバー支援のための力量を啓発し、韓国在住の脱北者のうち性暴力サバイバーを識別、支援するプログラムを樹立できるよう統一省と女性家族省が支援、資金提供を行う
◯統一省と女性家族省が協力し、北朝鮮に入国して北朝鮮住民と直接交流するすべての韓国の公務員に人権と性暴力、ジェンダー暴力に関する義務教育を提供することで、彼らの活動が北朝鮮の性暴力の状況を悪化させないようにする
◯統一省は人権と性暴力に関する義務教育を開発し、今後北朝鮮に入国し北朝鮮住民を対象に活動する計画を持つ宗教、人道支援、開発、企業分野の民間、市民社会の団体が活動を始める前にそれら団体に支援を提供する
◯北朝鮮政府が通報、逮捕、保護命令、起訴件数についての信頼できるデータ収集など性暴力関連統計を収集するよう奨励し、実際に履行できるように技術的支援を提供する
◯北朝鮮が女性差別撤廃条約と児童の権利に関する条約に基づき、女性と女児のすべての権利を尊重するように北朝鮮政府に公開で要請し、圧力を持続し、女性と女児に対するすべての形の差別を終わらせるように技術的支援を提供する
◯国連人権理事会と国連総会の追加措置を支援し、北朝鮮国内の女性、女児に対する性暴力、性差別、その他暴力についての認識を高める
◯北朝鮮の人権に関する国連安全保障理事会の議論で性暴力の問題がより重要に考慮されるように支援する
◯2018年12月に予定されている北朝鮮の人権状況に関する次の国連安全保障理事会の公式の議論に性暴力サバイバーの北朝鮮女性を招請し、証言を聞くように国連安全保障理事会に要請する
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。