「9月平壌共同宣言」を読む(3)

北朝鮮の金正恩党委員長と韓国の文在寅大統領は19日に署名・発表した「9月平壌共同宣言」で、朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の問題を根本的に解決するため、「人道的な協力をより強化していく」ことで合意した。

具体的には、北朝鮮の金剛山(クムガンサン)に離散家族の常設面会所を開設し、離散家族のオンライン面談とビデオレターの交換を実施していくという。

女子大生を拷問

これが実現すれば、誠に結構なことだ。しかしハッキリ言って、今回の共同宣言の中ではこの項目が、もっとも実現可能性の乏しい部分と言えるかもしれない。

韓国側は、これをいつでも実行する態勢ができている。問題は北朝鮮だ。北朝鮮側はこれまでも、離散家族の再会事業に消極的だった。理由は単純である。離散家族の再会と交流が進めば、体制の不都合な部分を隠し切れなくなるからだ。

北朝鮮には「出身成分」と呼ばれる身分制度がある。韓国出身者や朝鮮戦争時に韓国へ逃げた家族のいる人々は低い身分に置かれ、様々な不利益を被ってきた。これが韓国に伝わるだけでも、北朝鮮にとっては大いに不都合なことだ。また、離散家族の交流を通じて、南北の経済格差が北朝鮮国民に伝わってしまう。

もっとも大部分の北朝鮮国民は、韓国との経済格差について、すでにそれなりに正確な認識を持っているはずだ。それでも北朝鮮当局は、自国民が韓国に対する「憧れ」を強めるのを抑え込もうと必死で、韓流ドラマをこっそり見ただけの女子大生に拷問を加えるなどしている。

(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…

「美人ウェイトレス返せ」

それにもかかわらず、金正恩氏が敢えてこの約束を交わしたのは、離散家族が相当に高齢化しているため、国内社会への影響が限定的だと踏んだからかもしれない。しかしたとえそうであっても、北朝鮮の行政機関がこれを実行するのは至難の業だ。

実行が苦しくなれば、北朝鮮側は交換条件として、脱北者の送還問題を持ち出すだろう。北朝鮮は昨年来、中国の北朝鮮レストランから集団脱北した「美人ウェイトレス」たちの送還を、離散家族再会事業の前提条件としてきた。最近はこれを強硬に主張しなくなっているが、要求を完全にひっこめたわけでもない。

(参考記事:美貌の北朝鮮ウェイトレス、ネットで人気爆発

北朝鮮当局は近年、脱北者を連れ戻すオペレーションに力を入れてきたが、この要求を韓国に飲ませることができれば、まさに大戦果だ。

(参考記事:美人タレントを「全身ギプス」で固めて連れ去った金正恩氏の目的

韓国当局は北朝鮮からの送還要求を受け入れたが最後、脱北者や、金正恩体制に不満を持つ北朝鮮国民の信用を一気に失い、北との諜報戦で二度と優位に立てなくなるだろう。

いずれにせよ、北朝鮮が離散家族問題の根本的解決に取り組むのは容易ではない。本意か不本意化は別として、金正恩氏の「約束破り」はここから始まるかもしれない。

高英起(コウ・ヨンギ)

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1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記