北朝鮮で、政府のやり方に異を唱えるのは非常に危険な行為だった。そんなことをすれば、夜中に密かにどこかに連れ去られ帰ってこなかったり、政治犯として収容所送りにされたりしていた。
例えば、1990年代後半に北朝鮮を襲った大飢饉「苦難の行軍」から人々を救おうとして規則を破った工場の幹部が処刑されたことに、集団で異を唱えた労働者たちは悲惨な末路をたどった。
(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」)それから20年。一切の権力批判が許されなかった北朝鮮社会が、変わりつつある。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は、朝鮮労働党の政策を露骨に批判する人が増えていると伝えている。
咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋は次のようなエピソードを伝えた。
金正恩党委員長は最近、道内の様々な施設や建設現場を視察し、問題点を指摘して現場の幹部を厳しく叱責した。金正恩氏は3年前、視察先のスッポン養殖工場支配人を処刑した「前科」があるだけに、叱責された現場担当者は縮みあがったに違いない。
(参考記事:【動画】金正恩氏、スッポン工場で「処刑前」の現地指導)人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面
青くなった中央、地方の党幹部は一斉に住民生活の実態調査に乗り出したが、ほうほうの体で逃げ出す羽目になったという。
「先週、平壌からやってきた党幹部が実態了解(調査)のために清津(チョンジン)市で最も大きい水南(スナム)市場を訪れた。平服姿で自らが中央党(朝鮮労働党中央委員会)の幹部であることを明かして人々の話を聞こうとしたが、恥をかかされた」
車に乗らず徒歩で市場にやってきた幹部は、入口付近にいた商人に「中央党から来た、人民生活においてまず解決すべき問題は何か」と尋ねた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面質問された商人は躊躇することなく「水(雰囲気)も人間も何も変わっていないのに、何を変えようというのか」となじった。露骨に党幹部を批判する言葉に、周りにいた商人たちから共感の声が相次いだ。いたたまれなくなった党幹部は逃げるように去っていったという。
以前なら、公の場で党幹部を批判すれば、朝鮮労働党に対する重大な挑戦と受け止められた。しかし、国からの配給に生活のすべてを依存していたかつてとは異なり、市場で商売をして生きている今の北朝鮮の人々は、国を「恐れ多い存在」とは思わなくなってしまった。
(参考記事:「何かがおかしい…」国のやり方を疑い始めた北朝鮮の人々)自分たちの力で生き抜いているのに何も恐れることはないと思った人々は、公の場でも躊躇することなく党や政府の批判をするようになったというのが、この2〜3年の傾向だと情報筋は語っている。ただし、神聖不可侵の金正恩氏、金日成主席、金正日総書記への批判は絶対に許されないという大原則は変わっていない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面こんなエピソードもある。
清津市の浦港(ポハン)区域で、道党(朝鮮労働党咸鏡北道委員会)が住民を集めて、国家経済発展5カ年計画と、金正恩氏が現地で行った教示の貫徹に関する会議を開いた。壇上の党幹部は熱心に解説をするも、住民の反応は冷淡で、その場の雰囲気は白ける一方だったという。
すると突然、ある人が幹部の話を遮るように「どうせまた何か差し出せということではないのか」と言い出した。つまり、建設工事や政治行事の費用という名目で、住民から金品を供出させる行為を批判したのだ。
それを聞いた人々は次々に立ち上がり「党から言われたとおりにしたのに、何も変わっていないではないか」などと言った揶揄を幹部に浴びせかけた。吊し上げになりかねない状況に追い込まれた幹部は、予定を繰り上げて会議を終了させ、帰っていったという。
体制批判を取り締まる立場にある保安員(警察官)、保衛員(秘密警察)は、見て見ぬ振りをする。生きていくためには住民からワイロを取り立てなければならない立場にあるのに、下手なことをすれば庶民の反撃に遭いかねないからだ。
「外の世界のことは何も知らず、文句も言わずにただただ指導者の言いなりになって生きているかわいそうな人々」という北朝鮮の人々に対する固定観念は、時代遅れと言ってもいいかもしれない。
(参考記事:金正恩センスの制服「ダサ過ぎ、人間の価値下げる」と北朝鮮の高校生)高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。