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脱北者出身である筆者は、国内に入国した後、沢山の人々から“北朝鮮ではどうして多くの人々が飢え死にしているのに、デモを一回もしないのか”という質問を多く受けた。

その度に、“北朝鮮の住民たちに対する監視と統制がひどすぎて、敢えて立ち上がろうと考えられない”と簡単に答える。北朝鮮で暮らしていない人々にいくら説明しても、その内幕をよく理解することができないからだ。

北朝鮮で反体制活動をして、自分だけが死ぬというのならば、多くの人々が立ち上がったはずだ。しかし、家族全体が収容所に入れられて、一生動物のように虐待を受けながら暮らさなければならなかったら、これは勇気だけの問題ではない。

このような暴圧的な条件下でも、北朝鮮の独裁体制に憤然と抗した若者達がいた。ファン・ジャンヨプ前北朝鮮労働党書記は、金日成総合大学の総長として在職していた当時、体制に不満を抱いた学生たちが尋ねて来て、“このままではいけない。動かなければならない”と言った学生たちを、“まだ時ではない”と引き止めた事実を打ち明けた。

筆者も1989年に、平壌で発生した北朝鮮の青年たちの反体制活動をこの目ではっきりと目撃した。彼らがばらまいたビラと張り紙を見て荒てた平壌の住民たちの姿が、まだ忘れられない。住民たちは張り紙を見てもはがさないで、彼らに暗黙的な同意を示した。

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彼らは北朝鮮の金日成、金正日体制は社会主義ではなく封建王朝体制だと糾弾した。そして、マルクス主義に基づいた真の社会主義を求めていると叫んだ。彼らは逮捕されて、皆死刑を受けたが、歴史はこのことを記録するはずであると信じて、事件の顛末をあらかじめ記しておくことにした。

呼応する平壌の民心

第13回世界青年学生祝典が終わった1989年9月のある日の朝、平壌市楽浪区域の統一2洞にある楽浪映画館に、多くの人々が集まって来た。出勤の途中だった人々が、映画館全面のあちこちにはられた、“我々の闘争”という題の数多くの張り紙を見ていた。

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張り紙の内容はこうだった。’今、北朝鮮は社会主義国家ではない。マルクス、レーニン主義の精神に違う封建統治国家に過ぎない。人民たちには腰巻をしめて社会主義の建設を推進するよう強要しながら、金日成と幹部たちだけはよく食べて寝て暮らす世の中だ。私たちは万人が平等な社会を願う。’そして名義は’我々の闘争’となっていた。

彼らは北朝鮮体制を批判する際、マルクスとエンゲルスの著作の文章を引用した。マルクス著作集を引用して、北朝鮮の政治権力はプロレタリア政権ではない、金父子の個人王朝であると批判した。ビラの終わりで彼らは、’この封建統治国家を我々の手で覆して、新しい社会を建設しよう’と訴えた。

ところで、問題になったのは、ビラを初めに見た人々の反応だった。ビラを初めに見つけた人々は、次の人々が見られるようにこれを破らなかった。出勤した多くの平壌市民が見るようにするための、無言の同調だった。もちろん、訳もなく手をつけて複雑な事に関わり合いたくないという心理もあったはずだ。しかし、多くの人々が、皆眺めただけではがさなかったのは、その主張に同調する心理も大きかったからだ。

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事件が発生すると、平壌市が大騒ぎになった。国家保衛部は、即時に‘反動’を逮捕するように、平壌市の保衛部に言い付けた。市の保衛部が張り紙を唐チた者を探すために、捜査に取り掛かった。

保衛部が捜査に取り掛かったが、彼らは活動を止めなかった。むしろ、張り紙はもっと沢山ばらまかれた。彼らは平壌市内全域の映画館と劇場を回り、反政府ビラをはった。

印刷機で製作された反体制の張り紙

彼らのビラはりには、何種類かの特徴があった。鬼も怖がる夜半に現われて、映画館の壁に張り紙をはって消えた。 また、反体制ビラは大部分が自筆ではなく、印刷機で製作された。すなわち、印刷物だったのだ。

彼らは団体名を‘我々の闘争’と明らかにした。しかし、保衛部は何らの手も打つことができずに、彼らの後を追跡するのに忙しかった。ビラは、ある日は大同門映画館に、翌日はソンMョ映画館、またその翌日には東平壌大劇場に貼られた。平壌に大騷ぎが起こった。

スパイが唐チているという話もあったが、大部分の平壌市民たちは、内部のしわざと直感していた。

しかし、かれらの神出鬼沒の活動も、幾つかの手がかりを残した。個人の身分を隠すために、印刷機を利用したということと、マルクスの書籍を引用したという点に着眼して、保衛部はこの部分を集中捜査した。

平壌市内にある印刷機を全て調査して、まったく同じ活字を使う所を追跡し始めた。印刷機は機械ごとに、わずかな字体の差がある。人民大学習堂にあるマルクスとレーニン、エンゲルスの著作は許可された人だけ見られるのだが、これを閲覧した人々を集中的に追跡調査した。

捜査が進められ、反体制活動をした青年の輪郭が現われ始めた。保衛部は金日成総合大学、金策工業大学と平壌外国語大学、平壌商業大学、平壌建設建材大学などの学生が関わっているという事実を把握した。

ビラの字を綿密に調査した結果、金策工大と、複数の大学の印刷所の活字とまったく同じだという点を確認し、マルクスの書籍を閲覧した対象者が大部分、大学生や教授、研究者たちだったため、若い学生である可能性に重点を置いて捜査網を狭めて行ったのだ。

大同江区域の保衛員に逮捕される

しかし、印刷機を密かに使っており、その跡がなかったため、本を閲覧した対象者たちが、一人や二人ではなかったことから、検挙には時間を有した。

平壌市保衛部の反探科と捜査科、各区域の保衛員は、日夜すべての劇場と映画館に潜伏した。結局、90年8月のある日の夜明け、大同江映画館でビラを唐チていた学生が張りこみ中だった大同江区域保衛部の保衛員につかまった。

逮捕した学生を調査した平壌市の保衛部は、組職の実体を聞いて皆驚いてしまった。反体制活動を行った学生の父親の多くが、前職北朝鮮軍将令(将軍)だったからだ。

保衛部は反体制組職に関係した学生12人を逮捕した。関係した学生たちは全て、金日成総合大学と金策工業大学、平壌外国語大学、平壌商業大学、平壌建設建材大学など、北朝鮮の最高のエリート大学の上級生(3年生以上)の学生だった。

彼ら12人のうち、8人は全て、前職北朝鮮軍将令(将軍・所長以上)の子供たちだった。彼らは大学でも優秀な成績と模範的な大学生活で、教授と同窓生から愛と尊敬を受ける学生たちだった。

彼らは将令である父親の下で、幼い時から最高の待遇を受けて、何の不自由もなしに育った。こうして成長した彼らは、高等中学校時代から秀才で、もっぱらの評判だった。そして、北朝鮮の最高の大学に入学した。

マルクスの書籍見て ‘社会主義ではない’と結論

彼らが北朝鮮政権に反感を持ち始めたのは、将令たちだけが住む高級アパートから出るようになり、平壌の一般の住民の世の中が分かるようになったからだ。

平壌には北朝鮮軍将令のための高級アパートがある。一般の人たちの接近が禁止されたアパートは、24時間軍人が警備し、訪問が許された人だけがアパート団地に入ることができる。

逮捕された学生たちは、父親の除隊で将令アパートから出て、一般人とまったく同じアパートに住みながら、庶民たちが経験する生活苦を直接体験し、体制に疑いを持ち始めた。

特別待遇を受けて、中央の党幹部と将令とだけつきあった彼らは、一般のアパートで苦労して生きて行く平壌市民の姿を見ながら、北朝鮮の社会は特権層にだけよい社会であるという事実を理解した。

青年たちはマルクスとレーニン、エンゲルスの著作を回して読みながら、北朝鮮の社会が労働者、農民のための真の社会主義国家ではないということを悟るようになった。青年たちは将令アパートで一緒に育って、非常に親しかった。父親の除隊後、共に貧しい生活を経験して、マルクス関連の書籍を読みながら気持ちが通じ合い、’我々の闘争’という反政府団体を結成した。

北朝鮮は60年代以後、マルクスとレーニンをはじめとし、有名な社会主義革命理論家の著書を全て回収して、一般の人たちが読むことを禁止した。人民大学習堂ではこの本の閲覧だけができたが、関係当局の特別な許可を受けた人だけが読めた。逮捕された学生たちは、父親のおかげで、これらの本を見られた。

逮捕後も意志は強く

彼らは団体の最終目標を、北朝鮮政権の転覆と定めて活動し始めた。彼らは最初の活動として、気の合う同志を捜して、組職を拡大し、民心に訴えるための活動として張り紙闘争を展開した。

最初の張り紙闘争後、1年間隠密に活動した彼らは、結局逮捕されたが、保衛部の調査を受けながらも、その意志は揺らがなかったという。ずば抜けた頭脳と北朝鮮最高の教育を受けて育った彼らは、保衛部の審問に整然とした論理で堂々と対抗した。

ある予審員(捜査官)は”むしろ予審員たちが、彼らの質問に答えなければならない状況だった”と打ち明けた。

当時、彼らの審問に関与したある保衛員は、“もし彼らが発覚しないで勢力が拡がって大きくなったら、どうなっていたか・・・”と言い、言葉を濁ごしたという。この保衛員は彼らが秘密裡に平壌市郊外の秘密の場所で処刑されたと伝えた。だが、本当に惜しい人才が死んでしまったと、苦渋の撫??オた姿が鮮明だ。

この青年たちはたとえ20代初頭の若い歳で金正日の銃弾に消えたとしても、彼らの後を引き継いだ幾多の若い闘士たちが、北朝鮮国内で民主主義を叫んでいるだろう。また、今でも平壌市の保衛部の地下監獄では、北朝鮮の民主化のために活動して逮捕された北朝鮮の青年たちの悲鳴が続いているだろう。