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北朝鮮において、7月8日は神聖な日とされている。1994年の同日、金正恩党委員長の祖父であり、国父として崇められている金日成主席が82歳で死去した。同氏の銅像が立つ万寿台(マンスデ)の丘に大群衆が詰めかけ、数日にわたり嘆き悲しむ様子を収めたニュース映像を、記憶している読者も少なくないだろう。

一方、この日は北朝鮮の人々にとって、緊張を強いられる1日でもある。7月8日は「民族最大の追悼の日」と定められており、革命史跡館の見学、革命思想研究室での学習、政治講演会、音楽会、銅像への献花、記録映画の上映など様々な行事が催される。

追悼期間中の歌舞音曲、飲酒は禁じられ、市場や食堂は営業停止となる。行事に参加しなかったことが発覚すると、朝鮮労働党からの除籍、更迭を含む、重い処分が下される。行状が著しく悪いと見られたら、最悪の運命をたどることにもなりかねない。

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韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使が近著『3階書記室の暗号 太永浩の証言』(原題)で明かしているところによれば、1994年に金日成氏が死亡した直後、少なくない同僚が粛清されたという。その理由は、追悼期間中に引っ越しをしたとか、勤務中に「独り言」を言ったとかいうものだった。当時、北朝鮮国民は毎日、金日成氏の銅像などに献花を行ったため、国内で花が足りなくなった。そこで、中国からの花の空輸を手配していた外交官が「中国人は、花で一儲けだな」とつぶやいたところ、「不敬である」ととがめられたという。

北朝鮮において、金王朝に敬意を払わないということは、すなわち反逆者であるとみなされるのである。

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太永浩氏によれば、金日成氏の死の直後にどのような態度で哀悼したかということは、職場や党による人物評価に記載され、何かというとチェックされるのだという。金日成氏は死してなお、恐怖政治により国民の上に君臨しているわけだ。

しかし近年では、一部で様子が変わってきたようだ。2年前、黄海北道(ファンヘブクト)に住むデイリーNKの内部情報筋は「今年は、追悼行事に参加しない人がかなり多く、参加しなくても罰せられることはなかった」と語っていた。

情報筋によると、道、市、郡の労働党は、工場、企業所で金日成氏追悼行事の監督を行ったが、形式に過ぎなかったという。

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8日の朝には、団体、個人単位で献花する行事が開かれたが、それ以外には特に行事は開かれず。夜には、まるでめでたいことでもあったかのように、酒を飲んで大騒ぎする人もいた。金正日総書記の時代なら到底考えられないことだ。

実は、金正日氏の愛人の子である金正恩氏は、祖父と一度も会ったことがないとの説が有力だ。金日成氏はむしろ、金正日氏の正妻の娘(金正恩氏の異母姉)である金雪松(キム・ソルソン)氏を可愛がったとも言われる。

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会ったこともない祖父に、金正恩氏が親近感を抱いていないとしても当然だ。史上初の米朝首脳会談を実現させた金正恩氏は、もしかしたら今頃、「自分は父も祖父も超えた」との自信を深めているかもしれない。

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今後、7月8日の各種行事が形骸化していくなら、そんな部分からも、北朝鮮社会の変化は始まるかもしれない。

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高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記