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韓国にとってポーランドは遠い国だ。距離も遠く、直航便もない。

仁川空港から11時間、飛行機に乗ってチェコの首都プラハを経由し、さらに1時間20分飛んでやっと首都ワルシャワに到着する。12時間を越える長旅だ。

このように遠い国から北朝鮮の人権問題解決を志し韓国に来た女性がいる。彼女の名前はヨアンナ・ホサニャク(Joanna Hosaniak)氏。現在、北朝鮮人権市民連合で国際協力キャンペーンチーム率いる北朝鮮人権運動家だ。

ホサニャク氏はポーランドのヘルシンキ人権財団の人権教育と国際反奴隷連帯主催の国連人権ワーキンググループのワークショップを修了し、ヘルシンキ人権財団で勤務した才媛。また、大学で韓国語文学を専攻し、ポーランド駐在韓国大使館で勤めた経歴があり、韓国・北朝鮮に対する理解度も高い。

ホサニャク氏はどのようにして北朝鮮の人権に関心を持つことになり、遠い異国の土地で6年を超える活動をしているのだろうか? デイリーNKは今月4日、ヨアンナ氏に会い、北朝鮮人権市民連合事務室でインタビューを行った。

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北朝鮮に関心を持つことになった契機は?

ポーランド人は基本的に北朝鮮に対して関心が多いほうである。その上私は専攻が韓国語文学なので、自然と朝鮮半島と北朝鮮への関心が高かった。大学に入学した93年に先輩達の指導していた韓国語文学科の教授1人が行方不明になった。この事件は私にとって衝撃的な事件だった。

この教授はポーランドが共産政権だった時期、北朝鮮から派遣された韓国語文学科の教授だった。ポーランドは当時(80年代)、共産国家である北朝鮮と修交を結び幅広い分野で交流を行っていた。だが、89年にポーランド共産政権が崩壊し韓国との交流が始まると、北朝鮮は派遣していた教授を全て呼び戻した。その過程で教授1人が失踪したのだ。

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失踪した教授は北朝鮮当局の帰還命令を拒否し、生徒達に北朝鮮へ手紙を送るよう促し、北朝鮮当局に自身をポーランドに再び派遣するように嘆願した。先輩達も尊敬する教授の頼みを受け、北朝鮮大使館を通じて手紙を送った。だが、これが失踪の原因になるとは教授も、先輩達もその時は分からなかった。

その後、教授は行方不明になった。大使館側ではなぜこのような手紙を私たちに渡すのかと怒りを露にし、逆に私たちに教授の行方を尋ねた。北朝鮮に関するあらゆる活動をしてきた上で、今になって考えてみると、あの教授は政治犯収容所に連れていかれていったようだ。

彼女にとって、この事件が「北朝鮮」という国に対して真摯に考える契機になったようだ。

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北朝鮮人権運動を始めることになった契機は?

ヘルシンキ人権財団での活動経験から私は人権問題に感心を持つようになった。ヘルシンキ人権財団の構成員は、ポーランドが共産政権だった時期に主に地下で活動していた反政府人権活動家らだ。私は彼らから多大な影響を受け、また人権教育も受けた。

韓国語文学を専攻していた私の関心は、自然に北朝鮮の人権問題へと傾くようになった。ヘルシンキ人権財団活動しながら、私でなければ誰が北朝鮮の人権活動に興味を持つだろうかと考えるようになった。そして北朝人権国際会議を通じ北朝鮮人権市民連合に出会い、今日に至った。

ポーランドの人々が北朝鮮に関心が多いと聞いた。なぜなのだろうか?

ポーランドは以前、共産主義国家であった。ポーランド人は共産主義政権下で抱いていた自由への渇望と、アウシュビッツ収容所で60万人余りが殺害された深い痛みを持っている。だからポーランド人は自由と人権の重要性を共感している。ポーランド人にとって人権と自由は「常識(common sense)」なのだ。

しかし、北朝鮮はこのような人権と自由が保障されない国だ。北朝鮮に対する関心度が高いのは当然である。

だから両親も私がすることについては積極的に支持してくれ、誇らしく思ってくれている。「プライドを持て」、「こういう仕事をする人がもっと多くなければならない」などと私を激励し、いつも回りの知人らに北朝鮮の人権と北朝鮮という国の実態について話してくれている。

北朝鮮人権市民連合で仕事をすることになった契機は?

2004年、北朝鮮人権市民連合とヘルシンキ人権財団が主催する第5回北朝鮮人権・難民問題国際会議がポーランドのワルシャワで開かれた。

当時私は国際会議のコーディネーターとして参加した。私はこの会議で北朝鮮人権問題に関心が多く、こちらの方面で仕事をしたいという発言をしたのだ。すると市民連合が私に、一緒に仕事をしてみないかと話を持ちかけ、私はその場ですぐに承諾した。それから3〜4ヶ月後すぐに韓国入りし、活動を始めた。一瀉千里だった。

現在の担当業務は?

国際キャンペーンと国際協調を求める仕事を受け持っている。主に、国際会議を通して中国内の脱出者の状況などを国際社会に知らせることに重点を置いている。

特に国連でのロビー活動を通じて北朝鮮の実態を国際社会に知らせ、北朝鮮人権法決議案を棄権する国がいれば、棄権する理由を問い、説得する。その他にも、外国のメディア分野も担当、インタビューや外国政府、国連機高站c員らに北朝鮮人権関連事業の提案もする。

北朝鮮人権に対する海外の反応はどうか?

過去に比べて北朝鮮人権に対する国際的関心は高まったように思う。

特に励みになるのはアフリカ諸国が北朝鮮の言うことに耳を貸さず、北朝鮮住民の人権問題について反発し始めたことだ。北朝鮮とアフリカ諸国はある程度友好的関係がある。今まで批判しなかったアフリカ諸国が北朝鮮に人権問題を提起し始めたことで、北朝鮮も困難に陥るだろう。

NGOらの国際的な活動が活発になってこそ、アフリカなど北朝鮮人権問題に対して無関心だった国家の北朝鮮人権関連活動の参加を促すことができる。

北朝鮮の人権の蹂躙形態についてどう思うか?

北朝鮮は国際社会に対し、『人権の蹂躙は全くない』と平気で嘘をつく。だが、人権の蹂躙が『全くない』という嘘は逆に人権の蹂躙があると自認したのと同じことだ。

発展した自由主義国家でさえ、人権問題が全くないということはありえないことだ。人権問題がなく完璧な国はないからだ。このような発言は北朝鮮が人権問題に対して「認知」自体、出来ずにいることを知らしめる事例だ。さらに、これを改善する意向が全くないということの意志の浮黷ナもある。

北朝鮮の指導者らがこの状況を正確に把握し、自ら変革すべきだが、彼らの思想を変えることは相当厳しい。北朝鮮が「北朝鮮には人権の蹂躙が全くない」と話す度にとても残念であり、怒りが込みあげる。

ホサニャク氏はインタビューの終わりに、自身の夢が朝鮮半島の平和な統一であると話しながら、「統一すれば平壌に入って人権教育をすることが究極的な目標だ」との抱負を明らかにした。

「ポーランドの人々、特に反政府運動をした知識人でさえも共産主義政権の崩壊を予想することはできなかった。世の中に不可能なものはない。金正日政権もいずれは崩壊する」と話し、北朝鮮住民たちへの希望のメッセージを伝えることも忘れなかった。

ホサニャク氏は自身の北朝鮮人権運動について今まで疑問を抱いたことはないとし、「結局はうまくいくのだという思いが、やがて北朝鮮住民たちに自由をもたらすと信じてやまない」と強調した。