タリバンのテロ集団によって拉致された人質が帰国した。嬉しい。タリバンによって犠牲になった2人の死は、更に悔しく悲しい。
私たちは、今回のタリバン人質事件を通じて、次のような点を再認識しなければならないだろう。
テロ集団は罪のない人を無惨に殺害する、非理性的野蛮集団であることを確認して、このようなテロは、何があっても容認されないという事実を、もう一度胸に刻まなければならない。韓国政府が行ったタリバンとの交渉が、果してきちんとできたことだったのか、反省するきっかけにしなければならない。
私たちの国際的な反テロ態勢も振り返らなければならない。私たちはこの間、反テロ戦線に消極的だった。アメリカとの同盟を考慮して、やっと体面を繕うだけだった。今日、テロを根絶するための努力は、アメリカのような強大国だけがするものではない。テロとの戦争は本質上、民主主義対暴力主義の対立だ。民主主義陣営のあらゆる国が、取り組まなければならない。
世界の紛争地域に対する、私たちの外交の力も、総体的な点検が必要だ。この世界で韓国は、今後の多くの紛争地域で、より多くの役割を引き受けることを、要求されるようになるだろう。私たち自らが、紛争地域に対してより多くの関心を持ち、より高い外交力と情報力を持つことが必要だ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面アフガンの現地事情に関する正確な情報収集から、公式、非公式の多様なルートを開拓することが切実である。サウジアラビア、パキスタンのような周辺国を動員しなければならない必要性さえ、私たちは少し遅れて悟るようになった。何よりも、派兵までした紛争地域で、韓国国民の旅行規制の等級を、早めに高めることができなかったことは、政府の決定的な責任だ。これに対する責任の所在は問われなければならない。
若者の命を担保にした、一部の宣教団体の無責任かつ無分別な宣教も、批判のまな板の上に上がらなければならない。危険地域での宣教行為を英雄視するかのように煽る一部の牧師の宣教方式も批判を受けなければならないだろう。これらの無分別さが原因になり、若い2人の生命が犠牲になった。
私たちは韓国の垣根の中でのみ暮らすことができない、世界化の時代に生きている。世界化の時代には、私たち全てが、全世界的な懸案に対する関心と責任意識を共有しなければならない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面今回のタリバンによる、韓国人人質事件の遠因を考えると、金大中-盧武鉉政府10年の政権担当者たちの、’お山の大将’的意識がもたらした人災とも言える。さかのぼれば、政権担当者たちの無知がもたらした惨事であったということだ。
したがって、今回の事態を通じて、私たちは全世界の人々とともに生きているという、地球共同体の意識をより深く胸に刻まなければならないだろう。