いよいよ平壌郊外の撮影所に到着した。ロビーの壁全体に『火の海』の戦闘場面を見下ろす金正日の姿が描かれていた。それを見ていると、彼がここに一緒にいるような気がした。
ここでは北朝鮮特有の語調の女性案内員が僕たちを案内した。偉大な指導者が撮影所にやってきた時に座った椅子と机が展示されていた。そして彼が一度でも触れたとされるカメラ、撮影装備、テープレコーダーなどが同じように展示されていた。指導者の訪問は災難といっても過言ではない。撮影所の装備が指導者の訪問の度になくなるというのだから!
指導者が製作したという映画に対して尋ねると、即座に案内員は指導者は製作をしたことがないと話した。「指導者は指導だけを行い人民に教えているだけなのです」と答えた。だが、指導者が虚栄心で『ヒトデ』を製作したという事実を僕は知っていた。シン・サンオクがそのように言っていたのだ。だが、逃亡者であるシン・サンオクがそのように言ったと、北朝鮮でどのように話せるのだろうか。
金正日に関する展示物を後にして僕たちは模型の通りを見て回った。韓国とは全く似つかない『韓国通り』、東ドイツの小さな村にも見えない『西欧通り』等があった。セットやデザインを見る限り、北朝鮮の外の世界がこの50年間で急速に変化していることを知らないようであった。
『伝統通り』にある小屋では観覧客を対象に体験学習が行なわれていた。中世を背景にした時代劇だった。チェ先生は僕らに主演俳優を紹介してくれた。僕は特にする話がなかったので、彼に『ホン・ギルドン』の監督のキム・ギリンの近況を尋ねてみた。『ホン・ギルドン』は中世を背景にしたアクション映画で、ヨーロッパでもかなりの人気があった。キム・ギリンはとても忙しく会えない状態だとチェ先生が言っていたのだが、主演俳優が驚くべき事実を知らせてくれた。『キム・ギリンは3年前に映画を撮って、死にました』
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面高麗ホテルには韓国から帰国した非転向長期囚らが宿泊していた。僕はエレベーターで会ったが、彼らは常にバスに忙しなく乗せられ移動している様子だった。
ある日の午後、朝鮮映画輸出入事務所に行こうとバスを待っていたところ、非転向長期囚らがホテルに到着した。白髪の老人たちは胸に大きな勲章を付けていた。車椅子に乗ったある老人が急いで僕に近づき、花束をプレゼントした。僕は彼がホテルに入る姿を見てあっけにとられ、しばらくそこに立っていた。彼の同僚らが他の外国人にも花束をプレゼントした。
ニコラスと僕は祝典の最後まで残ることはできなかった。僕たちはヨーロッパに戻らなければならなかった。『実際』の世界との再会、そこは慣れ親しんだ感じもしたが、何となく寂しい感じもした。(終わり)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面※ これまで「平壌映画旅行記」を愛読して頂いた読者の方々に有難う御座います