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中国のアクション映画「クラッシュランディング」が上映中だった。ここでは本当に稀なことだ。映画祭の時を除いて北朝鮮では外国映画がほとんど見られない。北朝鮮の人々が大型スクリーンで映画を見るまでに、あと2年あまりはかかるだろう。その中で見ることが出来る外国映画は、週末ごとに放送される東ヨーロッパの一昔前の映画や国際ニュースが全てである。(もちろん上流層は最新のハリウッドのブロックバスターなどを見るが。多分中国からの密輸品であろう。)

「クラッシュランディング」は韓国語にダビングされていた。パク先生は彼女のそばに座った人々にだけ通訳していた。通訳とは言うものの、それほど必要でもなかった。内容は飛行機が空中で着陸用の車輪に故障を起こす。可能な方法はその着陸用の車輪なしで滑走路に着陸し爆発を防ぐことだ。飛行機の乗務員らはできる限りのすべての措置を取り、滑走路に集まった人々は最悪の場合に備え、また乗客が必死にあがく様子を描いた話である。そして結局飛行機は無事に着陸する。

観客の反応は他のアクション映画の観客と別に変わらなかった。僕の感想は少し違った。その着陸した中華航空の飛行機を平壌で見ると、家に帰ってきたようにとても楽な気分なった。映画が終わり電気が点くと、すぐ北朝鮮の現実に戻った。また、僕は映画の現場にやってきたような不思議な気持ちにもなった。劇場の付近を歩いている人々は、大きな旗を掲げて子供たちは秩序正しく行軍する。軍人らはあちこちにいた。都市全体がただ一つの集団労働のためにに没頭している。そう、それは重要な労働党の祝祭のことだ。

輸出入社にはさらに多くの映画が待っていた。「朝鮮の立派な娘」は1999年のマラソンの英雄チョン・ソンオクに関する映画であった。彼女の疾走、平壌での歓迎式、金正日から受けた贈り物の家についてなどである。とそこに、ニコラスと僕も映画に出てきた。映画の中で僕等は、歓呼する群衆の間で撮影をする「外国のテレビ放送関係者」と紹介されていた。何とまぁ、ほとんどの規則を破り、案内員を避けて逃げ回っていたにもかかわらず、結局はプロパガンダに動員されるのか !しかし、今回も僕たちはやはり逃げ回らなければならなかった。国家公認の宣伝映画ですら僕たちの逃走を認めているのにどういうことだろうか!

僕は映画が製作される場所の一つの朝鮮芸術映画撮影所を見学したかった。北朝鮮において映画は数々のスタジオで作られる。4.25芸術映画撮影所、4.26同映画撮影所などがあるが、そのうち、朝鮮芸術映画撮影所は最も大規模で重要なところだ。1947年に設立されたこの撮影所は、北朝鮮映画の真の故郷のような場所だ。ここで北朝鮮最初の映画である「私の故郷」が1949年に製作された。

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今回は公式日程の一環でその撮影所を訪問することができた。訪問に備えてそれぞれの代表団に「偉大な指導者と映画」という案内パンフレットが配られた。目的地に行くバスの中では案内パンフレットを読んで過ごした。パンフレットは偉大な指導者金正日が映画の巨匠で理論家、映画芸術の指導者であり映画労働者らの恩恵深く暖かい父であることを紹介する内容だった。

しかしよく見てみれば、偉大な映画権力者が映画を作る人々を犬の糞扱いする話だ。案内パンフレットによれば、七才の金正日が「私の故郷」の製作に関与し、ふと撮影現場に現れて製作チームにコンテを変えて、編集も変えて、ああしろこうしろと助言したという。