夕食が終わるとすぐにパク先生が近づいてきて、チェ先生に何か話をした。聞かなくても想像が付く内容だった。僕が察した通りチェ先生がすぐに尋ねた。「駅で何をしていましたか?二回も行ったんですって ?」「あ、ただ散歩をしただけなのですが…あちこち行ってきましたよ。」「ここの規則がどうなってるかご存知でないですか。ここでは案内員なしで歩き回ってはいけません。どこかに行きたい時は私に話して下さい。そして他の代表団にもそのように伝えてください。」ああそうだ、は僕ドイツ代表団の団長だったのだ。
ホテルに帰りフィンランド人に案内員から何か聞いた話がないか尋ねたが、彼らはないといった。彼らの案内員は英語がほとんどできない上に彼らに対して別に気を遣わないようだった。その案内員はまもなく交替になるといううわさまであった。一方で、ニコラスには特別に専門の案内員がいた。(案内員は代表団ごとに一人、または二人)
彼の案内員はキムという若い青年だった。ニコラスは彼に酒を大量に飲ませ、一日中酔わせてみたが別に効果がなかった。キムは本当に筋金入りの監視人なのでニコラス一人では何も出来ない状態だった。ソク同志は昨年ニコラスとの間に起きた問題に関しては忘れたことにしているのだろう。彼はニコラスとずっと例の‘事業’に関した話をしており、昨年と似たような契約書を新しく作成していた。何の効力もないような契約書をだ。
そうするうちにいよいよ映画祭が始まった。不幸にもただ会場に行って、映画を選べば良いというものではなかった。全てのものはあらかじめ用意されていた。僕達が見る映画は「遠い日の私の姿」であった。僕たちは通常の観客とは違って小さい部屋で見ることになっていた。僕はヨーロッパでその映画を上映したことがあって少なくとも30回は見た。大使らもみな覚えており暗唱できるまでだった。僕はその映画を見なくても良いとの許可を貰った。
僕は映画館の2階に用意されたフィルムマーケットと呼ばれる場所に行った。勿論、実際にフィルムがあるのではなかった。臨時に設置した壁に唐チてある映画のポスター数枚、椅子、ビデオの箱しかなかった。多くの手順を踏み蘭??オて初めてそこで北朝鮮ビデオを見ることができる。ところで、外国代表団の中で誰もそこでは映画を売ろうはしないようだった。そういえば誰に売るのだろうか? 僕はあるフィンランド人に会って非常にうれしかった。そこがどうであれフィルムマーケットに来た人が僕一人だけではないからだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面ただペク先生だけが僕たちを理解してくれた。彼は特別に僕たちが見たい映画を輸出公社で見ることができるようにしたのだ。僕が特別にお願いしたのはどんな映画でも良いから大同門映画館で見るようにしてくれということだった。そこはギリシャ式の柱がある1950年代スタイルの劇場だった。僕たちは車に乗って何度かそこを通りすぎたことがあった。前回は不幸にも見ることはできなかったが、今回は見ることができた。
翌日、大同門映画館に行った。この映画館は少しこぢんまりとしていた。しかし中は外から見るよりも大きかった。そこは北朝鮮住民で席はいっぱいであり、ドイツ代表団を除いて外国人は誰もいなかった。その映画館はただ普通の人々が来るところであって、集団農場や工場に動員された人々が来る所ではなかった。大部分の人が制服を着ており、観客は普段道でよく見かけるような人ばかりであった。