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事故の一報を受けた金正恩氏はあまりの事態に仰天した。国の体面に関わるような大事故は、隠蔽と箝口令で対処するのこの国の流儀だが、このときばかりはそうも行かなかった。事故が起きたのは平壌市内、それも外国人が利用するホテルやレジャー施設から至近距離にあったためだ。金正恩氏は最高司令官の名義で「1週間以内に瓦礫を撤去し、事故の痕跡を完璧になくせ」と命令を下した。

7総局は、救助活動も遺体の収容作業も行わず、重装備を投入してガレキの撤去を始めた。ガレキの中からは、ちぎれた手や足など遺体の一部が次々に発見された。それらは平壌赤十字病院に移され遺族に返された。しかし、多くの人は肉親の遺体を見つけられずにいた。

同年の1〜2月、前年12月に処刑された金正恩氏の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長と関連のあった人民保安部の主要部署の核心幹部や、その家族が平壌から追放され、農村や収容所送りとなっていた。その件で平壌の世論がギスギスしていたところに発生した大事故。金正恩氏は、動揺した民心の収拾に乗り出した。