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僕たちは暗い街を歩いた。ドアの外には何ももなかった。食堂を1件探し当てたが閉まっていた。主体塔までも10時には明かりが消えた。しかし、金日成広場にはまだ数多くの幼い学生がいた。僕たちは何をしているのか見てみることにした。どこからか放送を通して甲高い声が騒々しく聞こえてきた。学生らが皆立ち上がり走り出すとマスゲームが始った。数千人の子供が走っており、僕たちはその中に立っていた。

僕らは壇上に走って行った。行事を進行する1人の女性を見つけ、何が起きているのかを良く観察することができた。 最低でも1万人にはなる子供たちが真夜中に集まっていたのだ。彼らは筆のような金属の棒を持ち踊っていた。
なぜこういう事をするのかは分からなかったが、彼らは本当に熱心だった。彼らは指導者の号令に合わせて動作を繰り返した。僕達はしばらく見物していたが、うんざりしたのでホテルに戻り最上階にあるバーに行った。そこは街全体を見下ろすことができたのだが、子供たちはそのバーが閉まった後もずっと練習をしているようだった。

翌日になって学生らが明け方3時まで練習をしたと分かった。練習が何時に終ろうとも関係なく、彼らは朝には学校に行かなければならない。後になって分かったのだが、その練習は10月1日の労働党創立5周年記念式の練習であり、リハーサルは昨年の1999年11月から続いているという。

朝には金日成彫刻像を見に行った。今回は大規模な行事で、北朝鮮代表団は「金日成首領は人民の心の中で永遠」と書かれた旗を掛けていた。僕はドイツ代表として献花をしなければならなかった。その後に僕たちは体制の聖地、金日成の生家を訪れた。そこにはヘビーメタルティーシャツに入れ墨だらけのオーストラリアの若者たちが観光していた。多分、非行青少年に犯罪行為を二度と思い起こさなくする為の旅行でないだろうか。

僕はホテルで昼食を食べたがニコラスはまたガイドと争っていた。僕たちは郊外にあるデパートに行った。しかし、店員を除いては誰もいなかった。あちこちに果物ジュースがむやみに積み上げていて、1つでも抜けばどっと崩れるようだった。僕はジュースを1つ買いたかったが、店員はホテルを指差した。ホテルで買えということだ。デパートでは展示しているだけだった。

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その後、僕たちは近所の公園で汽車を待っている田舎の人々の写真を撮った。食べ物を売る露天もあった。のりまきまどいろいろな食べ物があったが、価格が5ウォン以上で買う人は誰もいなかった。彼らよりも裕福なチェ先生は一ヶ月に200ウォンの収入があると言っていた。
誰が高価な食べ物を食べることができるだろうか? そして高価な食べ物をなぜ道路で売るのか理解できなかった。直に腐ってしまうだろうに…。僕はパンを買おうとしたが商人が売らなかった。僕が持っていたのは外国人専用の青いお金であったからだ。彼らは人民用の茶色いお金だけ受けとるとのことだ。彼らは売りたかったが売れなかったのだ。

子供たちの多くがクリスチャンのカメラから避けて逃げていった。老人は特に気にしない様子であった。クリスチャンが学校運動場でしていたキャンプファイアを撮ろうとしたとき、警備兵が怒った。そして、結局クリスチャンは追い出されてしまった。広場には集団体操の練習をする人であふれていたが、その周囲には誰もいなかった。おそらくここの人々は身分が低く参加することさえもできないようだ。