北朝鮮女性アイドルの波乱の運命(6)

北朝鮮は、来月9日から韓国で開かれる平昌冬季五輪に三池淵(サムジヨン)管弦楽団およそ140人を派遣する。韓国統一省は同楽団について、詳細は分からないとしている。どうやら、平昌冬季五輪に派遣するために編成される急造芸術団のようだ。とはいえ、北朝鮮における「芸術団事情」をつぶさに観察すると、様々な裏事情、そして北朝鮮の巧妙な狙いが浮かび上がってくる。

虐殺された芸術団員

芸術団に関する過去の北朝鮮の公式報道を調べたところ、三池淵管弦楽団は見当たらないが、「三池淵楽団」は存在する。2009年1月、万寿台(マンスデ)芸術団傘下のユニットとして結成されており、故金正日総書記の主導によるものと見て間違いない。

三池淵とは、北朝鮮の最高峰・白頭山(ペクトゥサン)の麓に位置する湖だ。北朝鮮の公式の歴史では金正日氏の生誕の地は白頭山(実際はウラジオストク)とされていることから、三池淵は革命の聖地とされている。両江道(リャンガンド)三池淵郡に位置し、三池淵空港は白頭山観光の拠点となっている。

また、正式名称「万寿台芸術団三池淵楽団」の「万寿台」は、平壌の中心地区だ。同地区には、金日成・正日父子の銅像がそびえ立つ。万寿台大記念碑や国会議事堂にあたる万寿台議事堂、さらに万寿台芸術団の本拠地となる万寿台芸術劇場などがある。いわば北朝鮮の「顔」ともいえる地域だ。

「万寿台」「三池淵」は単なる地名ではなく、金日成・正日父子が歩んできた革命の道のりを思い起こさせる特別なワードなのだ。それだけに「万寿台芸術団三池淵楽団」には、相当なステータスが与えられていることがわかる。

金正日氏は、三池淵楽団とほぼ同時期に銀河水(ウナス)管弦楽団も設立している。金正恩党委員長の妻・李雪主(リ・ソルチュ)氏も所属し、金正日氏が愛した天才ヴァイオリニストのムン・ギョンジン氏がコンサートマスターを務めた同楽団だが、あるスキャンダルにからんで強制解散させられ、一部のメンバーは公開処刑された。

(参考記事:「芸術団虐殺事件」に隠された金正恩夫人の男性スキャンダル

北朝鮮による三池淵楽団の紹介動画によると、国内の権威ある創作家たちと指揮者、前途有望な新人音楽家の約50人で構成された大衆音楽楽団であるとのことだ。

数十回の地方巡回公演と各種音楽会、ロシアの21世紀管弦楽団との合同公演をはじめとした世界の様々な国の芸術団体と共演し、我が国の民謡と朝鮮名曲、世界名曲たちを立派に演奏形象し国内外に大きな反響を巻き起こしている――という。

指揮者兼コンサートマスターはヴァイオリンも担当するリ・スネ。女性団員は華やかなドレスに身を纏い男性は薔薇色のスーツに身を包む。タクトを振る指揮者を置かず、コンサートマスターであるリ・スネが「弾き振り」をすることが多い。

楽曲も西洋クラシック風にアレンジされた朝鮮曲や、西洋クラシック曲を演奏することが多い。国立交響楽団や尹伊桑(ユン・イサン)音楽研究所管弦楽団との違いは、見た目の華やかさを強調し容姿端麗な団員が多く在籍、楽曲の大衆性を強めている点にある。

2012年に金正恩党委員長の肝いりで設立されたガールズグループ・モランボン楽団には、三池淵楽団出身のメンバーもいる。モランボン楽団の現楽長でヴァイオリンのソヌ・ヒャンヒ氏、同じくヴァイオリンのホン・スギョン氏らがそうだ。

(参考記事:【動画】「ツィゴイネルワイゼン」ソヌ・ヒャンヒ

韓国に派遣される三池淵管弦楽団は140人規模というから、三池淵楽団の約50人を中心に声楽家や舞踊家たちを増員した形になると見られる。北朝鮮お決まりの指導者・体制賛美のプロパガンダ音楽ではなく、クラシックを中心とした演目で勝負する意図が見え隠れする。

そして団長を務めるのは、本来はモランボン楽団の団長である玄松月(ヒョン・ソンウォル)氏。一時期は、金正恩氏の「元カノ」説もささやかれた玄氏は、昨年10月の朝鮮労働党総会で労働党中央委員会の候補委員になるなど前代未聞のスピード出世を遂げた。平昌冬季五輪への芸術団派遣を巡る、南北実務者会談に出席した北朝鮮側代表の1人でもある。

(関連記事:金正恩氏が「親密美女」を猛スピードで出世させている

玄氏は金正恩氏の元カノでなく、父・金正日氏の愛人だったという説もあるが、いずれにせよ公私にわたって金正恩氏と親しい関係にあると見られる。そうした人物を実務会談の代表、さらに楽団長として派遣するということは、芸術団に金正恩氏の代理ともいえる「格」を与える意味が込められているのかもしれない。

それだけに、三池淵管弦楽団が韓国の公演で伝えるメッセージに要注目である。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

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