北朝鮮女性アイドルの波乱の運命(番外編・男性)

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北朝鮮で創作される文化芸術作品は、基本的に最高指導者を称え、社会主義体制を誇示する目的が込められている。つまりはプロパガンダである。一般庶民の日常や恋愛などをテーマにした良質な作品もあるにはあるが、圧倒的に少ない。

とりわけ重視されているのが、金正恩党委員長の祖父・金日成主席を始祖とする「金王朝」を賛美することだ。裏返すと、最高指導者の尊厳を傷つけるような失態を冒せば、芸術家としての生命だけでなく肉体的生命まで容赦なく奪われる。

(参考記事:遺体が粉々になり原型とどめず…金正恩氏の「劇団員虐殺」事件

金正恩氏の父・金正日総書記は、自らのスキャンダルを隠すため、自分の愛人だった女優の禹仁姫(ウ・イニ)氏を公開処刑し、この世から葬り去った。そのあまりのむごたらしさに、気を失う人もいたという。

(参考記事:機関銃でズタズタに…金正日氏に「口封じ」で殺された美人女優の悲劇

北朝鮮で天才ヴァイオリニストとしての名声をほしいままにしたムン・ギョンジン氏も、そのような悲劇をたどった芸術家のひとりだ。

金正恩氏の妻である李雪主(リ・ソルチュ)氏が所属していたことで知られる銀河水(ウナス)管弦楽団は2013年に解散させられた。その際、9人の団員が私生活での「非行」を問われ公開処刑されている。また2年後の2015年3月にも、元楽団メンバー4人が、平壌郊外の「美林ポル」という場所で銃殺されたという。北朝鮮での銃殺刑は珍しくないが、メンバーらは遺体が粉々になり原型をとどめないほど凄惨な殺され方をしたと伝えられている。

(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認

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文字通り「血の雨」を浴びながら葬り去られた銀河水管弦楽団のコンサートマスターこそが、ムン・ギョンジン氏だった。同氏は、2013年に公開処刑された9人のうちの1人だ。

1981年生まれのムン氏は、2000年に金元均(キム・ウォンギュン)平壌音楽大学を卒業後、2005年から2007年までモスクワのチャイコフスキー音楽院で学んだ。2002年には北朝鮮国内の最高峰を競う2.16芸術コンクールにて、個人部門2位に入賞している。

モスクワ留学中の2005年には、モスクワ・パガニーニ国際コンクールで3位に入賞すると、続いてハンガリーのカネッティ国際ヴァイオリンコンクールで優勝。2007年のオイストラフ・ヴァイオリン国際コンクールでも2位入賞を果たすなど、その経歴は実に輝かしい。

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ムン氏の才能にほれ込んだ金正日総書記は、1億7千万円相当の1716年年製ストラディバリウスを購入し貸与したと言われている。そして自身が創設した銀河水管弦楽団のコンサートマスターに任命したのだ。

銀河水管弦楽団のフランス公演ではオーケストラのコンサートマスターを務めたほか、サン=サーンス作曲の「序奏とロンド・カプリチオーソ」を演奏し、フランスの聴衆から大絶賛を受けた。アンコールでは朝鮮の曲「ニルリリヤ」を演奏した。

しかし、金正日氏が愛し育てた素晴らしいヴァイオリニストを、息子の金正恩氏は容赦なく処刑した。国家と独裁者の威信を守るためには手段を選ばないのが北朝鮮という国家だ。しかし、北朝鮮が芸術家の生命とともにその実績を消し去ろうとしても、国境を越えて情報が共有される現代社会では、その痕跡を完全に消し去れるはずもない。

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先述のフランス公演でのムン・ギョンジン氏の才気あふれる演奏ぶりは、今も動画で見ることができる。

(参考記事:【動画】銀河水管弦楽団・2012年フランス公演

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記