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北朝鮮は今年、96年だ。

北朝鮮は金日成が生まれた年を元年として、‘主体年号’を使用している。

主体年号は金日成主席が生まれた1912年を主体1年として算定する、北朝鮮式の年度表記法で、西暦から金日成が生まれた1912年を引いて+1すればよい。したがって、北朝鮮では2007年現在、‘主体96年’である。

主体年号の使用は1997年7月9日の金日成逝去三周忌の行事の時、党の中央委員会、中央軍事委員会、国防委員会、中央人民委員会、政務院などが’主体年号の制定’を発表し、9月9日(政権樹立の日)から主体年号の使用を施行することになった。

だが、西暦を使ってきた北朝鮮の住民は、突然‘主体年号’を使うようになり、困惑した。公にされなかったが、‘首領偶像化’の一環として始まった主体年号に不満を持った人が大部分だったという。

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このような不便さのため、主体年号が、新たに作成・公布される文書を含めて、出版や報道など、年度を表記するすべての対象に適用されたにもかかわらず、主体年度の次に西暦の年度をカッコ付きで併記することにした。

北朝鮮で主体年号を使うことは、対内的には金日成の永生化の効果を狙ったものであり、対外的には’自主性’を宣伝する目的がある。

主体年号が公式に使われていた当時、中央放送は“全国各地で、首領様の恒常と共に明るくなった私たちの主体時代の要求によって、最初の主体年号を刻む歴史的な画幅が開かれた”と報道した。

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一方、1997年から登場した主体年号は、これよりもずっと前である1980年代末に、既に国zされていたという。

1986年4月に妻と一緒に北朝鮮に入国し、定着したチェ・ドクシン前外相が金日成に、“自主暦”または“主体暦”の使用を勧めたことがあったと、チェ氏は金主席をたたえた自分の著書、<金日成、彼はハヌル様(天道教でいう神)>(1988)でこうした事実を明かしている。

しかし、当時チェ氏の提案は取り入れられず、金日成の死後、‘主体’年号という名で使われるようになった。

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このように、‘首領偶像化’作業の一環として実行された主体年号に慣れた北朝鮮の人たちは、西暦を知っていてもあまり使わない。したがって、脱北者が韓国に来たら、主体年号と西暦の判断がつかないこともある。

そのため、脱北者らは主体年号に金日成が生まれた、1912年を加えて、1を引く‘新しい’計算法まで生み出したという。