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国際的人権監視機関のヒューマンライツウォッチ(HRW)が11日に、年例報告書を発表し、“北朝鮮の人権状況は相変らず最悪の状態”と指摘した。デイリーNKは500ページの分量の報告書の、’北朝鮮’の項目だけ抜粹して全文を公開する。

HRWは報告書で“韓国政府は北朝鮮の住民たちを抑圧から解放するよりは、北朝鮮政権の崩壊を阻むことに力を注いでいる”とし、“アジアの人権守護国になった韓国”が北朝鮮の人権問題に対しては消極的な態度を見せていると批判した。

報告書は、北朝鮮では公正な裁判が成り立たないのみならず、政府が国民を任意に逮捕・拷問して、政治犯の場合、一家族を処罰する連座制が未だに実施されている等、いくつかの点を指摘している。

中朝国境地帯で行われている脱北者の人身売買と、東南アジアに隠れている脱北者問題が続いている状況に対しても憂慮を表明した。

報告書はまた、開城工団の賃金支給問題についても指摘している。開城工団の韓国企業が北朝鮮の労働者に賃金を直接支給する代わりに、北朝鮮政府に賃金の支給を委託しているという点だ。

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食糧問題については、世界食糧計画(WFP)を引用して、今年秋の収穫まで、約80万トンの食糧が不足すると憂慮した。

北朝鮮は去年の夏に発生した洪水とミサイル打ち上げによる韓国政府のサポート中断により、食糧難が一層深刻化した状況にもかかわらず、相変らず国際支援団体や外国人ボランティアの入国を許容していないという。

特に、“北朝鮮政府が2005年後半に、市場での穀物の取り引きを中断させて、配給制を復活させた”という事実に言及して、“北朝鮮政府の相次ぐ食糧政策の変化が、一番脆弱な階層の食糧確保を難しくしている”と指摘した。

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一方、HRWのカーネス・ロス事務総長は11日、報告書を発表する記者会見で、“北朝鮮は国民に食べさせることよりも、政治的統制をより重視している”とし、“この間、多くの北朝鮮の住民が飢えで命を失ったが、このような飢餓状況が再発するのではないかと、心配になる”と語った。

ロス事務総長は“韓国は太陽政策の下で、北朝鮮の人権に関する議論さえはばかっている”とし、“しかし、私たちは北朝鮮政権に何らかの脅威を与えるというのではなく、北朝鮮の住民の基本的人権を守ろうとしている”と言い、北朝鮮の人権問題に対する韓国政府の前向きな態度の変化を促した。

[報告書全文]

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2006年10月、北朝鮮は最初の核実験を実施したと発表した。このような動きは、国連の加盟国による、対北朝鮮制裁と核実験を非難する即刻な国連安保理制裁をもたらした。

北朝鮮の人道主義の危機はますます深刻になっている。世界食糧計画(WFP)は2005年12月に活動を停止した後、2006年 5月に活動を再開したが、より減少したステップにより、効果は一層落ちた。

北朝鮮は夏の洪水で、慢性的食糧難が一層悪化し、7月のミサイル打ち上げに対する対応として、最大の食糧支援先である韓国も支援を中断した。

北朝鮮の無惨な人権状況の向上は見られない。2005年11月、国連総会は国連人権委員会の多角的決議案に引き続き、 北朝鮮国内の‘組織的かつ広範囲にわたる、深刻な人権染躪’に対する真摯な憂慮を示し、国連決議を発議した。

北朝鮮は情報、集会、移動、宗教の自由がないだけでなく、政治への反対や労働活動、独自の市民社会などのための組職活動も禁止されている。恣意的逮捕、拷問、正当な法律の手続きの不在、そして正当な裁判が行われず、処刑が行われ、深刻に憂慮される。

また、‘政治犯罪’に対する家族全員の連座制による処罰が規範として残っている。北朝鮮では国際的人権団体のアクセスが相変らず遮られている。

Right to Food 食糧に対する権利

最近、北朝鮮で見られる一連の政策の変化は、大部分が北朝鮮の一番劣悪な階層に弊害を与えた。北朝鮮は2005年末頃、市場で独自に穀物を購入し、販売することを禁止し、 国家だけが穀物を配給することができる配給制度を、再開すると発表した。

1990年代と類似の政策によって、百万人ほどの人々が飢え死にし、更に多くの人々が深刻な栄養失調で苦しんでいる。

WFPは北朝鮮では最近、80万トンほどの食糧が不足していると報告した。食糧不足で特に子供、妊婦や老弱者など、一番劣悪な環境に置かれた人々が最も気がかりである。

北朝鮮には、優先的に上層の軍部、知識人、政治家そして法執行官たちを含んだエリート階層に食糧を与えるという、長い歴史がある。一層少ない量、ある時は生命を維持するために必要な最小限の量よりも、もっと少ない量を、その次に一般の人に与える。

Criminal Proceedings 刑事処罰手続き

北朝鮮で犯罪を犯して訴えられた人は、最も深刻な蹂躙に苦しめられる。容疑者のための法的相談は、法手続きとしてほとんど可能ではなく、多くの容疑者が審問過程で拷問されて虐待される。犯罪者たちは労働を強要され、残忍かつ非人間的で侮辱的な待遇を受ける。多くの人々は虐待と栄養失調、医療や治療の不在で監獄で死ぬ。

北朝鮮の刑事法上の計画的な殺人や、いわゆる反国家犯罪、例えば国家反逆、宣伝扇動、そしてテロ行為などは、死刑により処罰する。とにかく、脱北者の多くの証言によると、軽い犯罪、例えば食糧や国家の所有物を盗むことも処刑の対象になる。目撃者によると、そのような死刑はたびたび公開されて進行され、はなはだしくは、子供たちがいる前で行われているという。

North Korean Escapees 脱北者

多くの北朝鮮の人が、飢えと政治的抑圧を避けて、中国で隠れて暮らしていると伝えられている。中国から北朝鮮に帰った人々は、北朝鮮の法律で蹂躙と拘禁にあう。北朝鮮の法律は、国家の許諾なしに北朝鮮を去ることは、重い懲戒に値する国家反逆行為であると規定している。
中国は日常的に北朝鮮の人を支援する人々を苦しめている。比較的少ない数の脱北者たちが、最終的に韓国や、最近ではアメリカへ行くためにカンボジア、ラオス、モンゴル、タイ、ベトナム等の他の国々を経て、長く危険な旅行をする。

その他の数百人余りの人たちは、中国で抑留されたままとどまっている。アメリカ政府は10人の脱北者を受け入れた。最初のグループは2004年に北朝鮮人権法案の恩恵を受けた人々だ。

その他には、アメリカ移民国法廷は以前、韓国に定着して韓国の市民権を得た4人の脱北者の、政治的保護を保障した。ジェイ・レフコビッツ、アメリカ北朝鮮人権補佐官は、数回にわたるメディアのインタビューで、アメリカは更に多くの脱北者を受け入れるとほのめかした。

2006年2月のラジオ・フリー・アジアの報告書によると、7つのEU加盟国 (ベルギー, デンマーク, ドイツ, オランダ, ノルウェー, スウェーデン, イギリス)は、1990年代後半以後、およそ 300人の北朝鮮の人を受け入れた。

人道主義団体は特に、中国国境地域で北朝鮮を脱出した女性たちの人身売買が続いていると報道した。一部の人々はお金を儲けたり、生存するために、自発的にこのような生活を選択する人もいるが、多くの人々は強制結婚をさせられ、性的奴隷として拉致される。

Abductees 拉致被害者

統一研究所によると、総計3790人の韓国人が拉致され、1953年から1995年の間に北朝鮮に連れていかれた。

Kaesong Industrial Complex 開城工団

北朝鮮は2004年6月に開城工団をスタートさせた。2年が経ち、8千名を上回る北朝鮮の労働者が、13の韓国企業に雇用され、時計、靴、衣類、台所用品、プラスチック容器、電子コード、自動車の部品などを製作している。

開城工団の労働者の条件は、韓国がアメリカとの自由貿易協定(FTA)交渉で、開城で作られた製品を該当させようとした際、公的調査の対象になった。
平壌の圧力の下で、韓国の工場は労働者に直接人件費を与える代わりに、北朝鮮政府に労働者の賃金を支払っており、開城工団の現労働法に違反している。

開城工団の労働法には、国際労働保護基準を満たせていない点がかなりある。

Key International Actors 主要な国際的行動

2006年10月9日の核実験に関する北朝鮮の発浮ヘ深刻に憂慮されている。国連安保理制裁は、核実験を批判する次元で発揮された。大量殺傷武器の材料の、弾頭ミサイルを有する北朝鮮への輸出を禁止することが含まれている。非伝統的な武器や弾頭ミサイルの不法流出を阻むために、この国に出入りする際の、港湾の調査を定型化した。
11月初めに、北朝鮮は長い間膠着状態に陷っていた核兵器プログラムに対する6カ国協議に復帰した。北朝鮮は2005年 11月の、アメリカの経済制裁に対する反発から、この間ボイコットしてきた。

2006年6月5日、北朝鮮は7つの弾頭ミサイルの打ち上げにより、再び国連安保理の制裁を受け、韓国は高位級会議でミサイル打ち上げに対して抗議した。北朝鮮がこの事件に対して討論するのを拒否した時、ソウルは計画していた食糧支援を中断し、北朝鮮はこれを受けて、離散家族の再開を中断した。

韓国は9千人を越える脱北者が韓国の市民として定着することを認め、彼らの定着を助けている。

当時、韓国のバン・キムン外交部長官は、2006年6月、国連人権委員会の開会式での演説で、北朝鮮の人権問題を取り上げた。
欧州連合は北朝鮮の人権状況への国際的注目を引くために、より積極的な役割を果たした。2005年の国連総会決議を支持し、2006年6月には、欧州議会で北朝鮮に国際人権条約を尊重するように要請する、個別の決議案を通過させた。
北朝鮮は3年間、対話に出るように求めるビティット・ムンタボーンの度重なる要求に答えていない。