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2000年春にヨーロッパで北朝鮮映画を上映

僕は2000年1月にスウェーデンのゴートバーグ映画祭で北朝鮮映画を初めて上映した。そしてイタリアのウーディネ極東映画祭、さらにはドイツの様々な劇場で北朝鮮映画を上映した。ただ、劇場と映画祭関係者に北朝鮮のプログラムについて説得させることは容易ではなかった。

大部分の関係者は人々が北朝鮮映画に興味が無いと考えていた。その上大部分の映画に字幕がなく、僕は映画が上映される場所にデジタル字幕機械を持っていなければならなかった。それはニュルンベルクで開催されたトルコ映画祭の人々から借りた機械であった。

メディアの反応は実に多様だった。スウェーデンの日刊紙Dagens Nyheterはゴートバーグ映画祭に対し、何の説明も無しに国家主導の下で作られた真っ赤な嘘の映画を上映したと非難し、香港のアジアウィークは、北朝鮮映画がまるで他の星から来たもののようだとした。一方、ロンドンのエコノミストはわれわれ自由世界が北朝鮮のような国に対して抱いていた不安感を再確認させてくれたと評価した。

また、ベルリンの雑誌チップは、北朝鮮の英雄映画は実に退廃的である。特に、その国の人々が飢え死んでいく状況なのにと酷評した。ミュンヘンの新聞ヘッドラインはチンピラ国家の映像だと表現した。

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これらの報道はある意味成功だったのかもしれない。映画関係者は当初心配していたが、観客はたくさん訪れた。特にそれで儲ける事は出来なかったが。

ニコラスは北朝鮮の4月文化祝祭の時に、クラシック音楽演奏者二人を紹介してくれた。しかし、彼自身は平壌に行かなかった。

「プルガサリ」(北朝鮮版ゴジラ)はソウルでも上映された。2000年夏、韓国で五つの劇場で一週間の上映で終わった。1,000人にも満たない人しか映画館に足を運ばなかった。多分、その年の最悪の観客動員数であっただろう。一方で、ゴジラの本場の日本では成功したようだ。

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僕は釜山でついに犬肉を食べる事が出来た。本当においしかった。飲食店にいた人々は、外国人が犬肉を食べるのをほとんど見たことがなかったのか、僕の反応に関心を向けた。僕がおいしいと言うと彼らは皆とても自慢げな様子だった。実にいい肉ではないか!!

第7回平壌非同盟映画祭2000年

2000年夏、ペク先生とソク同志がベルリンにやってきた。僕たちは保衛事務所で少しの間だが会った。彼らは僕に9月の平壌非同盟映画祝典に参加する大規模な代表団の構成を要請しに来たようだった。

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最善を尽くして人々を集めた。多くの人は北朝鮮へ行くことに特に興味はない様子だった。結局、僕はドイツ人6人で代表団を構成した。ただ、全員が映画関係者ではなかった。クリスチャンはベルリン出身でもともと共産主義者であり、今はフリーのジャーナリストである。北朝鮮でいい写真を撮りたかったのだ。

ケイは1980年代に東ドイツの監獄で1年を送ったニュルンベルク出身で、元は麻薬中毒者の相談員であった。彼は同じ犯罪者仲間のクリスチャンと自分こそが、東ドイツで活動中の真の地下共産主義の活動家だと感じていた。しかし「国家の敵」として刑を言い渡されたのだ。罪は政府が主張する共産主義思想の独占を問題にしたことだった。