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錦繻山記念宮殿は全く違う状況だ。小奇麗な服を着た数百の人民が正門に列をつくっている。個別での訪問は許されておらず、軍隊の小隊や集団農場の農夫、あるいは小隊規模の工場労働者だけが出入りを許される。

宮殿はとても遠い。底に泥を付けないようにスリッパを履いて廊下を歩いた。カメラと金属物は保管袋に保管しなければならない。空港で見かける金属探知器の検査があった。外国のコイン、アルミニウム 、タバコの灰皿などの金属は案内員が保管袋に入れてくれる。

そうして僕たちは歩く歩道に乗ってやっと宮殿に移動した。ベルトの上では歩いてはだめで、そのまま立っていなければならなかった。歩く歩道はとてもゆっくりだったが、チェ先生によれば僕たちに『考えを整理する』時間を与えるため、とのことらしい。

ついに大理石宮殿の中に入り僕たちは偉大な首領が立っている、いや首領の銅像が立っている部屋に入った。革命音楽が演奏されており、全てのものが荘重だった。僕たちは石造りの銅像にお辞儀をしなければならなかった。そしてついに永遠の首領が横になっている神聖な部屋に入った。 だが、その前に部屋に入るためには先にシャツのホコリと頭のふけを払うため、強い風に当たらなければならない。

そしていよいよ北朝鮮で最も神聖なところに到着した。ガラス管の中の金日成は洋服を着ていたようだった。北朝鮮の演出には効果があって、僕たちの後に立っていた庶l才ぐらいの女子学生はしくしく泣いていた。さらにチェ先生でさえ偉大首領が剥製にされて笑みを浮かべている姿を見て、少し涙を流している様子だった。

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次に僕たちは展示場へ向かった。金日成が乗ったとされるメルセデツ600、東ベルリンまで使用したという汽車の1両 (壁には旅行経路が表示されていた)。世界の少し風変わりな場所で受けた名誉勲章と名誉博士学位などで展示場はいっぱいだった。大部分が今は崩壊してしまった東ヨーロッパの国や過去のアジアの共産主義国家国から受けたものだ。

彼はペルーのほとんど全ての都市の名誉市民であったのだが、その都市らはペルー語で『光る道』と呼ばれるゲリラ運動の中心地であった。そして彼は共産党が市長のイタリアのいくつかの都市の名誉市民でもあった。さらに米国に本部を置くある国際学生連盟の名誉会員という証明書まであった。

行き過ぎた冗談という感じを受けた。おそらくユーモア感覚のある学生が集まって、『名誉証書』を作ったようだ。その代価として彼らは平壌で一級の待遇を受けたのだろう。そうでないならなぜこのような事をしたのだろうか? 宮殿から出てくる途中、僕たちはまた歩く歩道に乗ったが、後に訪れる事に対する考えを整理しろ等の指示は受けなかった。

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僕たちは映画輸出入社に戻って契約書を作成した。ニコラスと別々にである。ニコラスが少々強引に契約書を作成している間、僕は映画をもう一つ見なければならなかった。そして僕は劇映画助メと短編ドキュメンタリーの中から4編選んで、次の春にヨーロッパで巡回上映をするといった。しかし、目録には九編だけがあった。