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その日の映画鑑賞が終わって、僕達は金日成広場で開かれた祭りに参加した。そのせいで家々の電気が消えるのも無理はなかった。建物の屋根は数万個の電気で光っていたし、主体塔は川の向い側で明るく光っていた 。昨日練習していた学生たちの大規模なマスゲームを期待していたが、結局見ることができず、何の演説もなかった。おそらく全て昼間に行われた行事だったようだ。

革命歌が常に聞こえてくる酷い雰囲気ではあったが、楽しいパーティーであった。僕達は平壌にいる他の外国人、観光客そして200人余りの外交官と共に巨大な石でできた露天の右側で広場を見下ろしながら観覧した。

後ろには人民大学習堂があった。そこはバルコニーがある図書館だ。そこで金正日はパレードや祭りを見下ろしたりする。こういう行事に姿を浮?キことは決してないが。

広場では韓服を着た女たちが中央の棒に掛けられたリボンを持ち、ぐるぐると回り始めた。特にリハーサルを数回もしたようには見えなかった。人々はただ楽しんでいた。しばらくして円はなくなり、それぞれが踊っていた。僕達も望むならば参加することができた。ニコラスはチェ先生と一緒に行って何回か踊っていた。

ソク同志がホテルに帰ろうと言ったのはパーティーの真っ最中であった。僕達は金日成広場を歩いていたが平壌は相変らず暗かった。軍用トラックがあちこち駐車されていたし、部隊が通りを遮った。僕達は何の尋問も受けないで通り過ぎた。僕たちが通り過ぎる瞬間、安全部隊と若者らの間でこ殴り合いの喧嘩が始まった。

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闇の中で見ても分かるくらい激烈な戦いだった。祭りに参加することができない一般の人々が入ろうと争っているようだった。「あの戦いは何ですか?」僕がチェ先生に尋ねた。「人々が入ろうとしているのですか? いや出て行こうとしてるのですか?」「何の戦いでしょう? 誰が戦っているのですか?」「そこです。そこで戦っているじゃないですか。見えませんか?」僕が指差しながら言った。「あ、あそこですか?」彼女はため息をついて、「あれは戦っているのではありませんよ。ただ規律を正しているのでしょう。」 と言った。ニコラスはカメラ用カバンを開けなかった。

平壌での最後の日、僕達は永遠の首領、金日成同志に敬意を浮?キ儀式に参加するため早くホテルを出発した。

僕はモスクワで剥製のレーニンの死体を見たことがある。それはあたかも過去に帰ったような経験だった。赤い広場は隔離されていて、検問所で訪問客はカメラがあるか捜索された。(写真撮影禁止であったため)そして謹厳にぞろぞろと並んだ警察官に従ってぞっとするような部屋に入るのだ。

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そこでは一ヶ所に止まって観覧するのは禁止されていて、次々と足早に展示物を見なければならない。レーニンは1920年代の格好で厳粛に横になっており、服は少しぼろぼろに見えた。その後、クレムリンの壁に沿って墓地を訪問することができた。スターリンの墓、フルシチョフの墓、ブレジネフの墓などを見ることができた。過去の亡霊を訪ねた後に赤い広場の一角で食べたハンバーガーの味は今までの雰囲気を一掃した。ここは新しい時代が始まった場所なのである。