北朝鮮の金正恩党委員長が、先月13日に板門店で発生した兵士亡命事件を受け、「祖国に背を向けて逃れる者を見つけたら、即時射殺せよ」との指示を下したという。

両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によれば、金正恩氏は事件発生から10日後となる先月23日、中国との国境を守る国境警備指令部にこのような指示を下した。その中で金正恩氏は、亡命事件にも言及。「国境地域全体が最前線である」「国境を鉄の城壁のように固く守らねばならない」と強調。加えて上記のとおり、「射殺命令」を下したという。

金正恩氏が、兵士亡命からわずか10日後に事件に言及するのは、北朝鮮としては異例だ。北朝鮮当局は通常、このような事件を国民から徹底的に隠す。事実、北朝鮮メディアは同事件について、これまでまったく言及していない。

そうした前例を破って金正恩氏が事件に言及したのは、隠してもいずれ知られてしまうと判断したものと思われる。韓国で放映された事件のニュース映像は、まず間違いなく、北朝鮮国内に秘密裏に持ち込まれる。そして、それを見た北朝鮮国民は、極めて大きな衝撃を受けるはずだ。

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とくに、国境を守る兵士たちは、外部情報との接触が早い。「それならば」と、先に事件に言及した上で射殺命令を下し、軍に緊張感を与えようと考えたのかもしれない。

ただ、命令を受けた兵士たちが、逃げる同僚を本当に撃つかどうかは微妙だ。朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士たちは、ろくに食糧も供給されないなど、きわめて粗末に扱われている。軍紀の乱れ方もハンパではない。上層部の命令を、どれだけマジメに受け入れるか。ただ、やらなければ自分が危ないと判断すれば、ためらいなく引き金を引くかもしれない。

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いずれにしても、軍紀の立て直しは北朝鮮にとって大問題だ。2015年には、北朝鮮が軍事境界線に埋設した対人地雷に韓国軍兵士が接触、身体を吹き飛ばされる重傷を負い、南北間の軍事的緊張が高まった。

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しかしこのとき、北朝鮮が地雷を仕掛けたのは、韓国軍を狙ったのではなく自軍兵士の脱北防止のためだった可能性が高い。

おそらく今後も、北朝鮮兵士の亡命はなくならないだろう。その現場で何が起きるかによって、誰も予想していない大事件につながる可能性は、決して小さくはないのだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

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1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記