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僕が初めに懸念していたこと(一日中案内人が付いて回ること)はしだいに緩和された。それは他の独裁国家と同じだった。公式的には彼らが話すことには首を縦に振り、実際にはやりたい事をやればよかった。僕はチェ先生に西ヨーロッパでの人々の暮らしについて話しながら楽しく時間を過ごした。そこでニコラスと僕は案内員にバレない様に外を歩き回る方法を見つけたのである。

案内人なしで通りを歩き回るのは、身が引き締まる気持ちだった。足並みをそろえて建設現場に行進していく突撃隊の少女たち、ジャケットにメダルを鈴なりにぶら下げ地下鉄から降りる英雄たち、肩から赤い旗をぶら下げた制服姿の男たち… 実におかしな共産主義映画の中の一場面に入り込んだような気持ちだった。

駅を囲んだ公園には田舎の出身者が多く徘徊していた。彼らは平壌の人よりも非常に貧しく見えたが、西側言論が騒ぎ立てる程の飢餓的状況では無い様だった。『思い出の中で永久に』のようなプロパガンダが問題なのは事実だが、飢えて死ぬような人々を見つける事は無かった。

さて、一日中映画でも見て監視を受けずに街を練り歩いて平壌に滞在するほうがずっと良いのだが、訪問日程がぎゅうぎゅうに組まれていたので、僕はすぐに妙香山に行かなければならなかった。ただ、ニコラスは前にも来たことがあったのでこの日程をパスすることができた。ソク・トンム、チェ先生そして初めに車に乗った時に一緒だった黒い制服姿の運転手と共に向かった。二時間ほどの旅行だったが、道には私たちの車以外はほとんど何なかった。

僕はチェ先生と話して時間を送った。彼女が他の国に行った時の話も出てきた。中国、バングラデシュ、タイ等を訪問した僕たちと、彼女の感じ方は非常に違った。彼女にとって北京はあまりにも複雑なところだった。人と車が一箇所に集まり、がやがやした感じ。彼女は慣れない風景におじけづいたという。

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僕にとって北京は過ごしやすい所だった。発展に向かって全速力で走って行く都市北京。だが、僕はチェ先生を理解できた。彼女は僕とは違い、中国人たちとも違う環境で育ったからだ。彼女は常に親切で他の意見をも聞き入れるが、彼女自身は強い信念を持っていて、守るべきことは絶対に守らなければならないと考える人である。勿論彼女の場合、守る物は主体思想だ。これが一体何が問題なのだろうか。僕は北朝鮮の外の様子について話したし、彼女は楽しく聞いていた。

僕たちは国際親善観覧館に向かった。国際親善観覧は僕たちがここに来た唯一の理由であり、山に道路が建設された理由でもある。展示場は二つの建物で構成されており、一つは金日成が外交上受け取った贈り物、もう一つは金正日が個別に受けた贈り物で埋め尽くされていた。建物に窓はなく、数千トンはあるであろう門がそびえ立っていた。聞いた話であるが、この建物は核攻撃に備えて作った防空壕だという。トンネルは僕たちが見ることのできない深さまで掘られていた。

建物の外観は丹精を込めて作られていた。伝統木造家屋のように見えるその建物は、実際には大理石と花崗岩で作られていた。ここを通るにはスリッパに履き替えなければならなかった。貴重な床を傷つけないためである。しかし、展示品は本当に滑稽だった。金正日の展示は別に見る物がなかったが、金日成が受けた贈り物だけは見ごたえがあった。国際的に公認された独裁者が貰うプレゼントが知りたければ、ここで全てを見ることができるだろう。

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贈り物は本当にどうでもいい物(例えば1994年の核会談を仲裁したジミー・カーター氏がプレゼントした皿は、ソーホーにあるコーヒーショップの皿洗い場から取り出してきたように見える物)であった。陳腐な鳩の陶磁器(米国の宗教指導者ビリ・グラハムが送ったもの。彼はおそらく北朝鮮に何度もきたのだろう。彼が国を統治するようなことがあれば、北朝鮮のような国ができていたであろう)。そしてルーマニアの独裁者チャウシェスクが送った熊の革、東ドイツの独裁者ホーネッカーが送ったハンティング用猟銃、そして中央アフリカのポカーサ皇帝(後に人肉を食べた罪で監獄に収監され人物た)が送った石油ランプのセットなどがあった。