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<平壌市民インタビュー>

日時:4月
対象:平壌居住の女性48歳Aさん、市場の商人

後継者教養はどの様な内容について

Aさん:3月8日にキム・ジョンウンの写真が労働新聞に掲載されたと友人から聞きました。その内容は首領様(金日成主席)の夫人が産後に亡くなられた為産婦人科を建設したが、今回の3.8節に将軍様が平壌産院の現地視察時に後継者を同行したと聞きました。労働新聞は見ていません。

4月9日夕方の講演会で、労働新聞に後継者の写真が載ったとの話を聞きき確認した結果、本当に後継者が隣に載っていたと隣人が12日に話しました。本人が見ようとしたところ、隣人は労働新聞を既に納めた(返納した)のでもうないと言ったそうです。それで、顔見知りの安全部員(警察官)の家を訪ね、労働新聞のキム大将の写真を見せて欲しいと頼んだが既に回収したと言い、何軒かを回り軍官の叔父の家に行って4月12日に労働新聞をようやく見られました。

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叔父はキム大将はハンサムで首領様に非常に似ていると話しました。労働新聞には3分の1ほどの紙面に、偉大な将軍様が軍部隊を視察したというの題の記事で、手の平ほどの大きさの写真が乗せられたが、この写真には将軍様とキム・ヨンナム、そして金正日より背の高いキム・ジョンウンが写っていました。4月13日の講演に参加した友人は、講演資料が4月9日の労働新聞にキム大将が同行する写真が載せられたとの教養だったと話しました。この発現を通じて、労働新聞の写真の若者がキム大将だと再度確認しました。

天安艦事件と関連した情勢について

Aさん:隣に住む外貨稼ぎ機関の運転手が、3月28日から4月2日まで出張に行っていました。地方で仕事をしている時、3月30日に緊急告知があり平壌に戻りました。明け方3時に到着し明け方5時までに訓練に復帰しなければならない為、偽装幕の修理の手が足りておらず、要請を受け早朝から修理を手助けし、この運転手は午前7時になってようやく訓練に参加しました。

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その日から一週間、毎日平壌市で教導隊と赤緯隊、女性同盟別に訓練がありました。人民班別では午前10時から11時までの一時間、午後2時から3時または4時まで、夕方7時〜9時の間に一時間ずつの防空壕訓練がありました。平壌市内は地下鉄道に集まり一階建ては防空壕に4世帯が入り、数階建ての地下室には人民班別に集合しました。市内には3つの放送で知らせ、区域では分駐所でサイレンを鳴らします。サイレンが短く3回鳴れば防空壕に集結し、終了時にもサイレンが3回鳴ります。

1月から月に2〜3回ほど訓練があったが、3月13日から準戦時状態になりそれから半月程は青年近衛隊、教導隊、赤緯隊の訓練がありました。これが終わった28日から1週間は毎日訓練があったが、南朝鮮(韓国)が共和国(北朝鮮)を侵略する口実として船を沈没させ、戦争策動を企んでいるが、我が軍隊を恐れてかかってこれないと聞いています。しかし住民たちは関心があまりなく、毎日締め付けるので堪らないと言い、いつになれば良い日が来るのかと嘆き、首領様が生きておられる時は良かったと懐かしみ戦争自体には関心がなく、暮らしの問題で頭が一杯です。

配給状況と住民生活について

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Aさん:1月、2月分の供給は受け3月上旬には4月、5月分をまとめて受けました。米とトウモロコシの比率は市内では5対5、周辺区域では2対8です。周辺区域で5月分まで前倒しで受け取りましたが、受け取ったのは腐ったトウモロコシでした。

昨年12月からこれまで万景台(マンギョンデ)区域の太平洞(テピョンドン)では、200人が凍死や餓死で亡くなり、兄弟山(ヒョンジェサン)区域では300人余りが亡くなりました。他の区域も噂が多く出回っているが、4月までに平壌市で亡くなった人は700人以上になるようです。万景台区域と兄弟山区域では確認したが、他の地域は確認できませんでした。太平洞で亡くなった人々は、ほとんどが間里(カンリ)道路の建設によって立ち退きを余儀なくされ、間里駅で暮らしたり、他人の家の倉庫で生活していた人たちです。間里道路は舗装された道路で、1号道路(最高指導者が利用する道路)だそうです。

本来、西城区域には別のャ|道路が1号道路として存在したが、万景台から撮影所を通過しャ|まで続く新しく1号道路を建設し、ャ|からカンリまでの道路を舗装工事中で、カンリから愛国烈士陵を経て循環道路に繋がります。カンリに1号道路を先に建設する必要があり、立ち退き住民らへの保障対策が何一つ無いまま追い出され、路頭に迷っい野宿を強いられ凍死や飢え死にで亡くなっていった。同じように兄弟山区域では、配給だけで生きて行く事ができない為、多くの人々が亡くなったがほとんどが飢え死にや病死、果てには自殺を行う人もいた。市場が麻痺し、生活費が途絶えた為だと思われます。

市民証の再発行とスローガンについて

Aさん:4月1日に告知され、居住地の確認を経た後、4月6日から10日までに写真の再撮影するように言われました。小隊別に行われ人口調査の目的で市民証の交付がなされたが、華僑は除外されました。市民証は安全部が管轄するが、華僑は外国人証を持っているおり、これは保衛部が管轄します。この為、華僑は除外されたようです。

革新駅の前の中央党社労青委員会に新しいスローガンが掲げられました。スローガンは2月までは見当たらなかったが、3月16日に通りかかった際に確認しました。 正門を中心に左側には、党中央委員会を命で死守せよというスローガンがあり、右側には我らの土地に根を張り目は世界に向けよというスローガンです。左側のスローガンはかなり以前からあったが、右側のスローガンは新しく掲げられた物で、 看板の様に2列になっており大きさは1メートル程度です。これと同じものが牡丹峰(モランボン)写真館の壁に掲げられているのを見ました。4月12日には金日成競技場の隣のマンションの壁に付いているのを目撃しました。何の意味なのか理解できませんでしたが。

市場の現況と電力供給について

Aさん:私も市場中で商売をしていたが、市場代を滞納し闇市場に移りました。市場は買い求める人がおらずガラガラです。闇市場は市場代がないので、多くの商売人が集まり商売をしているが、1日に何度も取り締まりが行われるので商売は簡単ではありません。こちらに来る前にも1日に2回も引っかかったが、商品を没収された商人の1人は、監視隊に1000ウォンをワイロをと引き換えに商品を受け取り、その日の商売を終え帰宅した人もいる。

市場代は西城区域の下新(ハシン)市場の場合、1日に800ウォンだが市場の外れは500ウォンです。取り締まりには政治大学の学生、検閲隊、老兵らからなる監視隊、安全部が交代で1〜2人が見て回るが、商品を取上げられた商人の不満が尋常ではありません。
特に金曜労働の影響から金曜日には全員が取り締まりに出てくる為、野菜や天ぷら、モチ売りなどがほとんどで工業製品は陳列すら難しいです。

開場時間は2時から7時までだが、近頃は金がないので、物もあまり売れず以前の様には行かないです。平壌市内の電力事情がよくないため、まったく来ない日もあり、2回ほど供給される日もあるがこれも10分にも満たず、電気が来ても気にもしません。

電気が来たとの声を聞いて充電器を挿すが直ぐに途切れます。夜中に12時から3時半に供給されたこともあり、夜は真っ暗になるので直ぐに寝ます。