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北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは、1989年に制作された映画「生の軌跡」を放映した。朝鮮芸術映画撮影所の有名脚本家リ・チュングがシナリオを書き、人民俳優オ・ミランが主人公として出演した映画だ。

金正日総書記はこの映画を見て涙を流し、「真の愛国者というのは名誉と見返りを望むのではなく、祖国のために身を捨てて闘争する人」という評価を残してより有名になった映画だ。

人民軍の軍官(将校)と結婚したヒロインが、韓国軍の海上からの攻撃に抗い戦死した夫の意志を継いで農業に打ち込み、ついには管理委員長にまで登りつめたという「労力英雄」のストーリーだ。

1989年に公開された当時、「人間愛と労働党に対する変わりない忠誠心を表現した」という評価を受けた。だが、映画の主人公のモデルになった実際の人物ハン・スニは労力英雄として脚光を浴びた人生の頂点で、スパイとして処刑され、映画のような人生の幕を閉じた。

徐寛熙と共に処刑されたハン・スニ

「生の軌跡」は、実在の人物をベースに作られた映画だ。そのモデルは主人公役のモデルになった実際の人物はハン・スニ協同農場管理委員長だ。1997年9月に平壌で徐寛熙(ソ・グァンヒ)農業担当書記と一緒にスパイの容疑で公開処刑された。

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「人生の痕跡」では夫が韓国軍との戦闘で死亡したと描写されているが、実際は夫も粛川(スクチョン)郡の農業幹部で、持病で死亡した。夫を失い農場の仕事に打ち込んでいたころ、現地指導にやって来た故金日成主席に出会い、その縁となって協同農場の管理委員長に昇進した。

ハン・スニは労力英雄の称号を受け取り、1982年に最高人民会議の代議員にまで抜擢された。朝鮮労働党は、すべての人が模範としなければならない人物として彼女を取り上げた。

だが、金日成氏の死後、彼女はいわゆる深化組事件に巻き込まれてしまった。食糧難の主犯とみなされた農業担当書記の徐寛熙をスパイ罪で着せられ処刑されたときに、彼と親しかったとの理由で、彼女も1997年9月に平壌市内の統一通りで、多くの市民が見守る中で公開銃殺された。金正日氏は、党と国家機関で親金日成的な者たちの粛清が終わった後、自らが処刑の指示を下した数人の名誉を回復するという「人徳政治」を行った。

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その一環でハン・スニも名誉が回復した。彼女の名誉は回復したが、管理所(政治犯収容所)送りになった家族の多くは既に亡くなり、結婚せずに彼女の世話をしていた叔母一人だけが生き残ったと噂されている。

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