北朝鮮・両江道のある村で、「トウガラシ」を盗んだ兵士を住民が許し、さらにお金まで与えるという出来事が起きた。常識的には「窃盗犯に施し」となるが、北朝鮮の現実に照らせば、これは“人情劇”として受け止められている。

デイリーNKの現地消息筋によると事件は今月8日、両江道(リャンガンド)金正淑(キム・ジョンスク)郡新上里で発生した。A氏は自宅裏の小さな畑でトウガラシを栽培していたが、人の気配を感じて畑へ行ってみると、そこにいたのは真っ赤に熟したトウガラシを袋に詰める国境警備隊第25旅団所属の兵士だった。

兵士は逃げずに「入党するにはお金が必要だ」「発展のためには仕方なかった」と弁解し、「どうか中隊の軍官にだけは報告しないでほしい」と涙ながらに必死に頼んだという。

実際、北朝鮮の兵士たちは昇進や入党のために個人的に金を用意しなければならず、上官が裏金を要求することは公然の秘密となっている。そのため、兵士たちは家族や親戚に頼んだり、商売や窃盗などで金を工面して上納している。

A氏は最初は怒ったものの、真剣に許しを乞う兵士を見て気持ちが和らぎ、叱る代わりに「数日後にまた来なさい、干したトウガラシを売ってお金を少し渡す」とまで申し出たという。

消息筋によれば、A氏は「川で溺れる人を助けて命を落とすのも軍隊、他国の戦争で身を捧げるのも軍隊ではないか」と語り、兵士を哀れに思ったという。数年前、国境警備隊の兵士が鴨緑江で溺れる筏運搬人を助けるために飛び込み、自らは命を落とした出来事を引き合いに出したそうだ。

さらにA氏は、最近ロシアに派遣された兵士の戦死者に対する表彰式を見て、軍人たちへの同情心を強く抱いていたことも影響したとされる。

消息筋は「この事件が知られると、人々は『兵士だって好きで盗むのではない』『盗みをしていない軍隊がどこにあるか』『国が兵士をそうさせているのだ』と口々に嘆いた」と話した。

また「多くの人が同じ思いを持っていても、実際には自分の暮らしが苦しくて容易に助けることはできない。だが、A氏が盗みを見逃しただけでなく、援助まで約束したことを知って『これも美風ではないか』という声が上がっている」と付け加えた。

だが、その根本原因を作り出しているのは他ならぬ金正恩体制だ。国家が責任を放棄し、軍人に必要なものが糧食や装備ではなく“裏金”になっている。住民は盗みを許して美徳と呼ばねばならず、これが北朝鮮の“社会主義の勝利”の実態である。

「兵士が好きで盗むのではない」「盗みをしない軍隊がどこにあるか」という住民の嘆きは、単なる慰めではなく、政権への暗黙の批判だろう。国家が兵士を追い込み、住民にまで“泥棒容認の美徳”を強要する。これほどの皮肉は他にない。

今回の事件は、単なる小さな窃盗ではなく体制の腐敗を象徴する。結局、兵士が盗人となり、住民が施しをして称賛する構図こそ、金正恩体制の喜劇であり、同時に最大の悲劇である。