韓国メディアは、東海岸の江原道(カンウォンド)三陟(サムチョク)港に、高さ39メートルの津波安全タワーが完成し、市民に開放されたと報じた。
三陟には1983年5月の日本海中部地震、1993年7月の北海道南西沖地震により、最高で4メートルの津波が押し寄せ、人的・物的被害が発生していることから、災害脆弱地域の整備対象に指定され、タワーの建設に至った。
このように、市民の生命と財産を災害から守ることは、国の義務だが、それを疎かにしているのが北朝鮮だ。そして、また貴重な人命が失われてしまった。咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
咸鏡北道の洪原(ホンウォン)郡の東海岸沿いにある湖南里(ホナムリ)では、大雨が降り、強風が吹き付け、さらには村を高潮が襲った。村の住宅の多くは、当局が推奨するも、安全性に問題があると指摘されている土レンガで建てられている。
10数戸の家が、大雨と高潮にひとたまりもなくやられてしまい、2人が死亡、4人が行方不明となった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面(参考記事:タワマン大好き金正恩、そのしわ寄せで国民は「土の家」に住む)
一方、米政府系ラジオ・フリー・アジア(RFA)の情報筋は、今月14、15の両日に降った大雨で、郡内の南豊里(ナムプンリ)、普賢里(ポヒョンリ)など、西大川(ソデチョン)沿いの村の民家50戸や農地が浸水する被害を受け、人的被害はなかったものの、住民は緊急避難する騒ぎとなったと伝えた。
いずれの村でも、防災インフラの不在が被害を大きくした。川沿い、海岸沿いには堤防も防波堤もない。大雨が降ったり、高潮が押し寄せたりするたびに家の浸水、壁の崩壊などが起き、住民は避難を強いられ、人的被害も発生していた。しかし、北朝鮮政府も地方政府も一切の対策を取らなかった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面そればかりか、西大川にかけられた複数の橋も、昨年の洪水で流出したまま復旧されておらず、住民は靴やズボンを脱いで川を渡る不便を強いられている。
「毎年同じ時期に同じ場所で住民の被害が繰り返されているのに、対策を行わない理由がわからない」(RFA情報筋)
「湖南里は海に面した村で、洪水と高潮で人的被害が発生したのは1度や2度ではないが、政府は人が死のうかどうなろうがいかなる対策も取らず、自主的に対策を取れと指示を下す情けなさだ」(デイリーNK内部情報筋)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面村人の多くは生活苦に喘いでおり、自主的に対策を立てるほどの余裕はない。国が手を差し伸べない限りは、被害は繰り返されるだろうと、情報筋は嘆いている。
より安全な地域への移住も一つの手だが、北朝鮮は居住の自由がない国だ。村人たちは崩れたわが家を見つめながら、ため息をつくことしかできないのだ。実際、南豊里や普賢里では、昨年の洪水で家が流されたのに、また同じ場所に家を建てざるを得なかったことで、再び被害に遭っている。
様々な手を使い、村から逃げ出し、より豊かな都会などで働く人も多いが、洪原の人々は、それすら考えられないほどの困窮ぶりに苦しめられているのだろう。
(参考記事:移動の自由がない北朝鮮でも進む都市化…農村の生産力に打撃)