北朝鮮収容所「兄弟は衆目の中で斬首された」…元女性警備兵が証言

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英国の大衆紙であるデイリー・メールは、北朝鮮の拘禁施設で警備兵として勤務し、後に犯罪者として収監されるという両側の経験を持つ女性、イム・ヘジンさんにインタビューを行った。イムさんは、今でも拘禁施設内での地獄のような体験によるトラウマに苦しめられているという。

女性収監者への性的虐待

2002年に脱北し、現在は韓国で暮らしているイムさんは17歳のときに、咸鏡北道(ハムギョンブクト)会寧(フェリョン)市の全巨里(チョンゴリ)にある12号教化所(刑務所)で警備兵として働き始めた。

イムさんによると、収監者は朝5時から夜11時までの強制労働を課せられる。基本的に休日はなく、何らかのミスがあれば、徹夜の作業を強いられることもあった。逃亡者の有無のチェックは1日に3回あった。

彼女の担当区域の収監者のほとんどが、女性と子どもたちだった。健康な男性は炭鉱送りになり、その多くが死んでしまうからだ。炭鉱でガス爆発が起きたとき、警備兵は、生存者の救出活動を行うどころか、彼らが逃亡することのないように坑道を封鎖。その結果、300人が犠牲になった。

拘禁施設内で、女性収監者は男性警備兵に性的関係を迫られる。

(参考記事:北朝鮮、拘禁施設の過酷な実態…「女性収監者は裸で調査」「性暴行」「強制堕胎」も

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その結果として妊娠した場合は、中絶させられたという。中には、薬物を注射されて殺された女性もいた。また、産まれた赤ん坊は叩き殺されるか、生き埋めにされたと語った。ある女性は、警備兵による尋問の際にいらだちを見せたとの理由で、裸にされ焼き殺された。

にわかに信じがたいほどのむごい話だが、拘禁施設内で赤ん坊が殺されているとの証言は、「北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)」の最終報告書にも収められている。

子どもが公開処刑を見学

イムさんは、警備兵としてそうした残虐行為を頻繁に目の当たりにしていたにもかかわらず、何とも思わなかった。なぜなら、週2回の思想教育により、収監者は凶悪犯罪を犯した連中であり、同情の余地などまったくないと信じ込まされていたからだという。

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日常的に残虐行為を見ていたイムさんだが、ある兄弟の悲惨な最期を目の当たりにして、激しいショックを受けた。2人の兄弟は、拘禁施設の鉄条網を越えて逃亡した。2人の家族7人が処刑され、同じ区域にいた多くの収監者が連帯責任を取らされ、激しい暴力を受けた。

数週間後、2人は帰ってきた。脱北し中国に逃げたのだが、逮捕され強制送還されてきたという。激しい拷問を受けてすでに体はボロボロになっていたにも関わらず、2人は鉄条網の下を引きずられて引き立てられてきた。そして、20人ほどの収監者が見守る中で、2人は斬首された。その様子を見るよう強要された収監者は、さらに死体に石つぶてを投げつけることを強いられたという。究極の見せしめとも言えるこのような公開処刑は、北朝鮮では子どもまで「見学」させられる。

イムさんは、あまりに残虐なシーンにショックを受け、数日間食べ物が喉を通らなかったと語る。そして、彼女の警備兵としての生活に終止符を打つ時が来る。自分自身が収監者になってしまうのだ。ある時、商売のために国境を越えて中国に行ったところで逮捕され、北朝鮮に強制送還された。そして、教化所送りとなる。そこでは、男性警備兵に裸で行進することを強いられた。

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イムさんは収監者の立場になって、自分や同僚が収監者に対していかに残虐な行為を働いていたかをようやく知ることになった。そして教化所を出所後、脱北した。イムさんは次のように語っている。

「私は指導者にウソをつかれていた。裏切られたという気持ちだ。拘禁施設に収監された人々が、普通の人間であることに気づいた今、罪悪感とトラウマに苛まれている」

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

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