今年2月はじめに、失脚・粛清説が伝えられていた北朝鮮の秘密警察、国家保衛省のトップである金元弘(キム・ウォノン)氏が復帰したもようだ。金元弘氏は15日に開催された軍事パレードに登場。ひな壇に立った姿がカメラに捕らえられた。
人体が原型とどめず
韓国の国家情報院(以下、国情院)は2月27日、国家保衛省の次官級幹部5人以上が高射銃によって処刑されたと明らかにした。事情通によると、高射銃で使用される14.5ミリ口径弾は「1発でも当たれば、人体の一部が吹き飛ぶ。発射速度の速い機関銃で打てば、粉々になり原形をとどめないだろう」という恐るべきものだ。金正恩党委員長は執権以後、この銃火器によって朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の高級幹部であろうと無慈悲に処刑してきた。
一方、金元弘氏については失脚し、軟禁状態にあると国情院は報告した。金元弘氏は、その後、本来ならいてもおかしくはない公式行事で姿が見えなかった。なんらかの理由で一時的に表舞台から姿を消していたことは間違いない。
15日に見られた金元弘氏は、大将の階級章を付けていたものの、やつれた姿だった。序列は崔富一(チェ・ブイル)人民保安相より下。金正恩氏が登場すると、金元弘氏は不動の姿勢で敬礼したが、正恩氏は彼を左指でさして何やら言ったものの握手はしなかった。
ただし、同日に開かれた中央報告大会と、錦繍山(クムスサン)太陽宮殿の参拝では姿は確認されていない。こうしたことから、韓国統一省の担当者は、金元弘氏の復帰は確実ではないとしている。その一方で、25日の朝鮮人民軍創立記念日の訓練には再び姿を見せた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面また、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、金元弘氏の復帰にともない朝鮮労働党の中で嵐が吹き荒れているという北朝鮮国内からの情報がある。金元弘氏が逆襲をはじめたというのだ。
女子大生を拷問
そもそも、金元弘氏と国家保衛省に対する粛清は次のような事件が発端となっている。金正恩氏が両江道(リャンガンド)を訪れた際に、歌を歌った子どもを褒め称えたが、この褒め言葉の意図を歪曲して伝えたことをめぐり、道の勤労団体部長だったチャン・ミョンホ氏が国家保衛省に逮捕され、銃殺されるという事件が起きた。ところが、これがウソの密告によることが判明する。それを知った金正恩氏が激怒し、国家保衛省に対する検閲(監査)を指示した。
また、金元弘氏が、意図的に上級機関である朝鮮労働党組織指導部(以下、組織指導部)幹部6課(国家保衛省担当)の担当課長を逮捕し、拷問を加えて死に至らしめたという説も流れている。しかし、RFAの情報筋は、組織指導部は権力層の人事権、検閲権を牛耳っており、それはあり得ないと主張する。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面情報筋によると、組織指導部の検閲で、国家保衛省がめちゃくちゃにやられたのは事実だが、金元弘氏に対する検閲はまだ終わっておらず、護衛司令部保衛局で取り調べを受けているという。
国家保衛省の内部事情に精通した別の情報筋によると、昨年末、組織指導部党生活指導課(総括を取り仕切る部署)が、国家保衛省に対する検閲を行ったが、その時は、金元弘氏が復帰できると考える人は誰ひとりとしていなかった。つまり皆が皆、彼の命運は尽きたと考えるほど過酷な検閲が行われたということだ。
しかし、ここに来て金元弘氏よりも苦しい立場に追いやられているのは、組織指導部幹部3課(地方指導担当)の方だという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金元弘氏は、検閲の際、労働党の地方組織の幹部に対する個人崇拝や、地方割拠主義が深刻なレベルに達していると訴え続けた。歴代の最高指導者が最も警戒し、その萌芽を容赦なく摘み取ってきた宗派(分派)主義が、地方において深刻化しているということだ。実際、金正恩体制になってから、地方の党組織が肥大化しているという批判が多く寄せられていた。
そして、体制を揺るがしかねない宗派主義が蔓延しているのに何もしてこなかったとして、組織指導部幹部3課の方が責め立てられるようになった。逆に金元弘氏は、最高指導者を守ったという肯定的な評価を受けるようになった。
党生活指導課は、自分たちに飛び火するのを恐れて、すべての責任を幹部3課に押し付け、戦々恐々としているという。ここに来て風向きが変わり、金元弘氏の逆襲がはじまったのかもしれない。
金元弘氏の逆襲が真実だとするなら、またもや北朝鮮国内で粛清の嵐が吹き荒れることになる。なんといっても、国家保衛省は韓流ビデオのファイルを保有していたという容疑だけで、女子大生にすら拷問を加えるほど残忍な機関だからだ。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。