「はい。でも暖房費として石炭代、電気代などを引くと、結局いくらも残りませんでした。食糧はトウモロコシの粉で配られました。しかも女性だからと、配給も少なかったです」
―学生の時も炭鉱で働かされていましたが、本格的に働いて何か変わった点がありましたか? 「危険な作業が増えました。炭鉱自体が粗末な作りである上に、坑木なども弱っており事故も多かったです。ある時はガス爆発が起き、私と同じく収容者だった作業班長が私をかばって死にました。命の恩人です。しかし彼には、何の補償も行われませんでした」
―炭鉱で殴られたことは? 「作業中に坑木を倒すミスをしたことがあります。それを見た幹部(炭鉱を管理する国家職員)は、その場にあったノコギリと金槌、斧などで私をメチャクチャに痛めつけました。ノコギリの歯を腹部に当てて引くものだから、衣服が裂け、皮膚と肉も切り裂けました」
収容所では公開銃殺もあった。パクさんが振り返る。