政治犯は「家族もろとも処刑」 金正男氏の遺族が名乗り出られない理由

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マレーシア当局は、北朝鮮の金正恩党委員長の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏殺害の実行犯として逮捕したインドネシア国籍とベトナム国籍の女性らを殺人罪で起訴した。その一方、事件に関与したと見られていた北朝鮮国籍のリ・ジョンチョル容疑者については、3日の勾留期限をもって証拠不十分により釈放、国外追放とする見込みだ。

韓国の不甲斐なさ

女性らは、有罪が確定すれば死刑もあり得るという。ただ、マレーシア当局が起訴事実を立証するのは簡単ではないとされる。

彼女たちが死刑になろうが無罪になろうが、北朝鮮にとっては都合の良い展開であると言えるかもしれない。北朝鮮がほかの容疑者たちを、マレーシアに引き渡す可能性はほぼゼロだ。となれば、女性らが死刑になれば、ことの経緯を語ることのできる生き証人はいなくなり、事件は風化を待つこととなる。反対に殺人罪が不成立となれば、事件はなかったも同然の扱いになりかねない。

いずれの場合においても、マレーシア当局が遺体の身元を確認できなければ、被害者は旅券に記された「キム・チョル」として処理される。

いま、日本にいる私たちの目に映っている「金正男氏殺害事件」が、「キム・チョルさんが誰かに殺されたかもしれない出来事」というぐらいの、わけのわからない記録でしか残らない可能性があるということだ。

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ことの流れを真相解明に引き寄せるためには、遺族がマレーシア当局にDNAサンプルを提供し、事件前の正男氏の身辺での出来事について語らなければならない。しかし、正男氏の妻子もまた北朝鮮国民であり、たとえ海外に暮らしていても、直接・間接的に北朝鮮政府の支配を受けている。国民の権利など歯牙にもかけず、意に沿わない政治犯は家族もろとも殺してしまう金正恩体制の性格を考えた場合、国家の意思に反する形で行動するのはきわめて難しいのだ。

正男氏の遺族に対し、それでもDNAサンプルの提供と証言を求めるとすれば、亡命受け入れとその後の生活保障も含めた、徹底的な身辺保護が図られなければならない。

それをすべき一義的な責任は、北朝鮮との分断国家であり、将来的な統一を志向する韓国が担わなければならない。

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ところが、現在の韓国にはそのような余裕はまったくない。朴槿恵政権が機能不全となり、大統領選を経て生まれる次期政権は、北朝鮮に融和的な勢力が掌握する可能性が高いからだ。

もしかしたら、金正男氏殺害は、このような韓国の状況を伺いつつ実行されたのではないか。だとすれば、韓国は正恩氏から完全になめられているということになる。思えば20年前にも、韓国当局は自国内で正男氏の従兄を暗殺した北朝鮮工作員に、まんまと逃げられているのだ。

一昨年の8月、韓国軍兵士が北朝鮮の仕掛けた地雷で身体の一部を吹き飛ばされ、軍事的緊張が高まった際には、北の横暴に対し多くの韓国国民が激怒。その空気に後押しされ、韓国政府は金正恩体制を強力に圧迫することができた。

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しかし今、韓国国民は政府の不甲斐なさを嘆くと同時に、保革の対立が深まり国論が分断している。このような状況では、北朝鮮がいつまた極端な行動に出たとしても、全く不思議ではないのだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記