その後、私が脱北の手助けをしたのは、北朝鮮での暮らしが辛すぎるとか、あるいは商売で稼いだ財産をすべて盗まれてしまったとか、あるいは中国人男性に嫁入りでもしてお金を稼ぎたいという人が多かったです。そのようにしてブローカーの仕事を始めたのは、おカネを稼ぐためでもありましたが、苦しい生活から逃れたがっている人々を手助けしたいとの思いがより強くありました。
問 しかし中国に行った人々のうち、とくに女性たちは、相当数が人身売買の被害に遭っています。その比率はどのくらいでしたか?
答 2000年代の半ばには、100人中70人は中国で売られていきました。残りの30人は韓国から迎えに来た家族と合流したり、中国に住む親せきを訪ねて行ったりしました。