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さらに耐え難かったのは、シャワーをしていると、プルマン山で死体を焼く匂いが漂ってくることでした。ああいう風に死んで、焼かれて、灰になって捨てられるんだと思うと、絶望感に襲われました。だけど、何としてでも生き残ろうとがんばりました。

プルマン山の方を見ることすらできない人も多かったんですよ。私はプルマン山のそばのジャガイモ畑で仕事をしていたから、見たくなくても見ていましたが。死体を焼く匂いは、常に教化所中に漂っていました。その匂いは、人を絶望させるものでした。だから、生き残ろうとがんばりました。

問:受刑者の中に、教化所で生きるのは辛いと口にする人はいましたか?

はい。全巨里女子教化所は2006年にできたのですが、その前は平安南道(ピョンアンナムド)甑山(チュンサン)、价川(ケチョン)、咸鏡南道(ハムギョンナムド)の五老(オロ)の教化所に収容されていました。