キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日に死去したことを受けて、北朝鮮が最大限の丁重さで弔意を表している。米国だろうが中国だろうが誰彼かまわず噛みついているように見える金正恩党委員長の、珍しい姿と言えるかもしれない。
南ア・イスラエルとも死闘
金正恩氏は26日に弔電を送ったのに続き、28日には側近たちを伴い、平壌のキューバ大使館を弔問した。また、国家としては28日から30日までの3日間を哀悼期間に定め、重要機関の庁舎などに弔旗を掲揚。朝鮮労働党中央委員会の崔龍海(チェ・リョンヘ)副委員長を団長とする弔問団もキューバに送った。
正恩氏は弔電で、次のように述べている。
「フィデル・カストロ・ルス同志は、(中略)変わらぬ革命的原則と信義でもってわれわれの祖国の統一と正義の偉業に確固たる支持と声援を送ってくれた朝鮮人民の親しい友人、同志であった」(※朝鮮中央通信の公式訳)
また、大使館の弔意録には次のように記した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「彼の名前と業績はわれわれみんなの記憶の中にとわに生きるだろう。偉大な同志、偉大な戦友を失った痛みを抱いて。金正恩」(同)
いずれも率直な言葉だろう。
ともに米国と鋭く対立したキューバと北朝鮮は、文字通り「戦友」だった。カストロ氏は2013年、キューバ共産党機関紙・グランマに寄稿したコラムで、1980年代に北朝鮮から大量の武器支援を受けたと明かしている。同氏は当時、キューバが旧ソ連から「米国とは自分で戦え」と突き放されていたことを説明し、次のように続けた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「別の友人に対して、キューバ兵100万人を出動させるのに必要な武器の提供を依頼することにした。経験豊かで非の打ちどころがない戦闘員である金日成同志は、1セントも要求することなく、AKライフル10万丁と、附随する弾薬を送ってきた」
また、キューバは1970年代から80年代にかけて、南アフリカの白人政権と戦っていたアンゴラなどアフリカ諸国に出兵していたが、北朝鮮も同様の国々に軍事顧問団を派遣していた。
このような関係もあり、カストロ氏は最後まで北朝鮮との関係を重視し、キューバが韓国と国交を結ぶことを許さなかった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面北朝鮮には、このようにして深い関係を結んだ国がほかにもある。
北朝鮮はかつて、エジプトとシリアに空軍を派遣。中東戦争でイスラエル軍と戦った。また、ベトナム戦争にも空軍を送り、米軍機26機を撃墜した歴史がある。
凄惨な虐待
こうした国々は現在に至るも、人権問題などで北朝鮮が国際社会の追及を受けた場合には、制裁決議に反対するなどして金正恩体制をかばっている。
しかし果たして、そのような関係がいつまで続くのだろうか。カストロ氏の死去が象徴するように、地代は移り変わっている。かつて世界の多くの人々が、民族独立にこそ未来があると信じた時代があった。その時代に行われたことの何が正しく、何が間違っていたとしても、現在の政治指導者は、現在を生きる国民の幸福に責任を持たねばならない。
キューバ政府もまた、経済発展を重視して韓国との国交正常化に傾いているとされる。その流れを、正恩氏が送った弔電や弔問団で押しとどめられるとは思えないし、そんなことを期待するのも正しくない。
また、外国の戦争に参加することの是非はここでは敢えて問わないことにするが、そのようにして海外で血や汗を流し、犠牲者も出した北朝鮮の軍人や技術者、労働者たちは(本人らが不本意だったとしても)「国際主義戦士」として称えられた。
「国際主義戦士」とは、冷戦時代には旧社会主義圏や非同盟諸国で広く使われた言葉だ。例えば北朝鮮では、アルゼンチンで生まれながらキューバ革命に参加し、ボリビアで戦ったチェ・ゲバラ氏をこのように呼んでいる。
しかし今、金正恩体制が海外に送り出している労働者たちに、そのような栄誉が与えられているようには見えない。完全に金儲けの道具であり、凄惨な虐待まで受けている。
だから正恩氏もまた、「国際主義戦士」を名乗る資格などない。資格のない人物から「戦友」と呼ばれたい人物など、本当はもう、どこにもいないのではないだろうか。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。